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「表」と「裏」の話

「好きの反対は無関心」とか、「興味があるか無いか(これについては少しニュアンスが違うので後で別記事にする予定)」みたいな、両極を表現する言葉を聞いて、自分の考え方を振り返ってみた。

「裏」は正面から見たら表になるし、そもそも物理的なもの以外において表と裏ってどう紐付けるのか。

「A」と「B」(もしくはA ” か ” B)みたいな考え方じゃだめなのかなと思ってしまう。

白黒つけたいということではなくて、AにもBの要素が入っててもおかしくないよね、の話。

多分、物事を多面体? 球とか立体として観るのが苦手で、大きな面としてみてしまうからかも。

「裏」とか「見えていない側面」ではなく、「そっちの方にあったのね」とか、マーブル模様みたいにごちゃっと混ざっているものを深掘りしていく感覚。

「裏がない」という表現を使ってしまうけれど、それも少しニュアンスは違っていて、そういう人は色に濁りが無いとか、「底知れなさ」の恐さみたいなものが無いのだと思う。

「第一印象」」とか「そんな部分があると思ってなかった」みたいな考え方もそれと同じで、「見えていなかったところが見える」のは、球体の裏や側面が見えるわけじゃなくて、一枚の絵が広がる感覚。
この絵にはこんなものも描かれていたんだな〜、みたいな。
その人が隠していたものが表に出るわけじゃなくて、自分の視界が広がる感覚なのだと思う。

↑これが6月くらいに書いていたやつ↑

昨日(記事を書いている時点なので、7/21〜7/22にかけてのこと)、🦁くんと話している時にふと頭に思い浮かんだのは、「その人の要素」が見えるたびに「積み木」みたいに積み上がっていって、少しずつその人の輪郭が伸びていくイメージ。
元々あった絵の感覚も同じ意味ではあるのだけれど、自分の腕や視界の範囲を考えると、後者の方がより解像度が高いのかも。

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