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カタコトのうわごと

それでもいろいろ苦労して思い出す作業が、小説を書く上で大切だと思えることが多いのは、別に自伝を書こうとしているからではなく、忘れることで成り立っていくわたしたちの日常生活の姿をとらえるには、見ている部分ではなく、忘れたものの方が大切だと思うからだ。
(カタコトのうわごと 「<生い立ち>という虚構」 / 多和田葉子)

幼いころ、離人症とか不思議の国のアリス症候群とか、そういう類の感覚に悩まされることがありました。数秒前が遠い昔のことに思えたり、夢の中にいるような感覚に陥ったり。(こういう子はよくいるらしい。)離人症ってことば、なるほどその通りでよく言ったもんだなと思います。

このモードになってしまうと、どうしようもなく不安で押し潰されそうになるので、「あ、やばい」と予兆がきたら、必死に過去のことを考えないようにします。そして「〇〇している今」に集中して、現実を進行形で生きているわたしを強く意識するのです。

昔の記憶があまりなく、正直、数日前のことすらよく覚えていなかったりするのも、幼少期のこの"忘れ癖"のせいだということにしています。


昨晩、多和田葉子さんのエッセイのこの一節で立ち止まってしまい、さてじゃあ昔を思い出してみようと目を瞑ると、
霧の中のわたしであろう少女がいつまでも他人のような顔をするので、あの頃の現実喪失感がぶり返し、ものすごくおそろしくなって中断せざるを得なかった、

と、思い出すことが難しい話を書こうと思ったのですが、昔のことを思い出すのがおそろしいあの感覚を思い出せた話、という見方もできますね。あれ?うーん、この話はこれで終わります。

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