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少年は荒野をめざす

5歳の野原に 少年をひとり おきざりにしてきた
今も夢に見る あれは
世界の果てまで 走って行くはずだった真昼
やけるような緑と 汗と言う名の夏が 身体にべったりはりついて
空には
付け黒子みたいな黒揚羽が 幾度も幾度も まばたきしていた
あの少年は私 今もあの青い日向で 世界の果てを見ている

(少年は荒野をめざす / 吉野朔実)

幼い頃、病弱だった兄の代わりのように自分のことを男の子だと思って過ごしていた狩野。少年としての自分を描いたこの文章がきっかけで中学生小説家へ、高校へ進学してからも小説を書き続けることになります。
自分が女の子だということを簡単には受け入れられなかった狩野も、よく似た魂を持つもう一人の自分のような陸に出会い、少しずつ女の子としての自分を受け入れていきます。それは単に恋をして女の子になりましたということではなくて、少年と少女の狭間で自分が何者なのかを苦しみながら探していく姿が美しく描かれています。


そういえば私も男の子になりたかった。私の場合その一因には、女の子の土俵では勝てないから「イチ抜けた」って虚勢を張りたかった、というのもあったかもしれないな、と、今さら回顧しました。
だって「美少女だったら」より「男の子だったら」の方が自分が惨めじゃない。っていうバリア。もちろんこの年になって、そういうコンプレックスなどはもうまるっきりどうでもよくなってしまいましたが…。
でもこういう逃げ道には確かに救われることがあります。

大なり小なりの辛い経験を、昔から自分の欠点のせいにしがちなのですが、「女性というだけで不当な扱いを受けた!」と怒ってもいい事柄もあったのでは?と、最近はよく思います。なんかみんなが怒ってること、私は自分のせいだと思ってたよ〜っていう。

もちろんそんな悲しい逃げ道をつくらなくてよくなるような世界であってほしい、それが一番です。

だからフェミニストやる上で「勝利」をゴールとして活動するんじゃなくって、今現在、目の前で、社会の他のセーフティーネットにうまくひっかからない、女だからっていうだけで虐げられてるけどそういうもんなのかって諦めるしかない隙間に落ちてる人たちに、「待って!まだフェミニズムがあるぞ!この紐をつかめばまだちゃんと自分の尊厳を守れるチャンスが見つかるぞ!」っていう、そういうセーフティーネットを広めることと思ってるから。
だからフェミニズムって言っちゃうことで女性と男性が分断されるってことは全然なくって。ジェンダーを押し付けないって話だから。
「フェミニズム」っていうワードによって、そういう風な戦い方がもあるよっていう、逃げ道があるっていうのかな。「社会はこれが普通なんだ、これに合わせていくしかない」って思ってたけど、ちょっと待って、別のところにもこういう「普通」があるよ、抜け道があるよっていうのを言っていく人でありたい。

(" I'm really not there #1 " talk...2 内田るんさんの話)

昨年末に作ったzine " I'm really not there #1 "の、るんさんの言葉をよく思い出します。スッと腑に落ちたんですよね。(抜粋でごめんなさい。そして一年経った今の気持ちも聞きに行きたい。)

私は私の解釈で勝手に逃げ道を探していいし、不勉強だからと発言に躊躇する必要はないし、覚悟して自由に表現していけばいいのです。何事も。

脱線しましたが、死の影に揺らぎながらもそれぞれの人生が続くようなラストもよかったです。やっぱりウジウジ悩みながらでもそれでも生きていかなきゃいけないじゃない。
一番心に残ったのは「大人だと思って甘く見るなよ 子供が育っただけなんだからな」って日夏さんの言葉。おっしゃる通りです。

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