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「自粛のパラドックス」という仮説


なぜ自粛解除を喜ばないのか

ついに緊急事態宣言が全国で解除されましたね。
新規感染者が退院者の10分の1程度になる日がずっと続いており、ひとまずは収束と言って良いのではないでしょうか?

もちろん「ウイルス封じ込め」の政策を選んだ時点で、封じ込めを解除したら再拡大するのは避けられません。
とはいえ、一旦は自粛解除にまで持ってこれたことは、間違いなく明るいニュースだと思います。

しかし不思議なことにSNS上では、この宣言解除を全く喜ばない、むしろ不安視する声も多く聞かれます。

これに加えて、医者が学者から度々主張される「新型コロナはそこまで大きな脅威ではない」「今の自粛は明らかにやりすぎ」などの説にも、猛烈な反発が起こっています。

「自粛は解除する」「新型コロナは実はそこまで危険じゃない」これらが本当だとすれば、どう考えてもいいニュースのはずなのに、どうして反発が起こるのでしょうか?

その心理を考えた結果、「自粛のパラドックス」という仮説を思いつきました。

自粛のパラドックスとは

我々は2ヶ月近くに及ぶ自粛期間で、あまりにも多くのものを失いました。
お金や夢だけでなく、命まで失った方も大勢います。

それだけ沢山のものを失ってまで、「COVID-19はそれくらい危険な病気だから仕方ない」と自分に言い聞かせることで、耐え難きを耐えてきたのです。

つまり自粛で失ったものが多いほど、「自粛は必要だから仕方ない」と思いたい。
これによって「実際そこまで危険じゃない」という説を受け入れられなくなっているのでは無いか?

本当ならば自粛なんて今すぐ解除したいはずなのに、自粛を簡単に解除してしまったら、今まで失ったモノが無駄になってしまう気がする。だから自粛解除を素直に喜べない。
結果的に、永遠に自粛生活から逃れられない。

これが「自粛のパラドックス」です。

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COVID-19が遺体から感染する危険性は無い

志村けんさんや岡江久美子さんの死去では、亡くなった事の悲しみと共に「火葬して骨になるまで家族と対面できなかった」事の衝撃も広く報道されました。

集中治療室で亡くなってしまった後、家族は最後のお別れを言う事すら出来ず、安らかに眠った顔を一目見る事もできず、遺体は火葬場に直行してしまったのです。これはCOVID-19で亡くなった人ほとんどに同様の措置がとられているそうです。

しかし実際のところ、COVID-19が遺体から感染する危険性はほとんど無いようです。普通に考えて、遺体はくしゃみしないんだから顔を拝むくらいでリスクは無いでしょう。

世界保健機関(WHO)は「必要な予防措置をとっていれば、遺体を通して新型コロナウイルスに感染することを心配する理由はない」との見方を示している。
(中略)
WHO米国支部のWilliam Adu-Krow氏は、先月初めに「今のところ遺体からウイルスが感染するとの証拠はない」とする一方、「これは亡くなった人にキスをしてよいということを意味してはいない。やはり必要な予防措置を取る必要がある」とも述べているという。
新型コロナで死亡、遺体からもうつるのか?―英メディア

さすがに遺体に触れるのは良くないでしょうが、少なくとも手を触れずに最後のお別れを言うくらいは限りなく低リスクです。

日本の医療現場で実際にCOVID-19と戦っているお医者さんからも、現状の対応に強い反対の声が上がっています。

私はそもそも袋などいらないと思うし、さらに密封する必要などないと考えている。納体袋というのは亡くなった人への敬意が感じられないひどいものだ。遺体を扱う葬儀社の人たちまでもがなぜ防護服を着なくてはならないのかも疑問だ。
(中略)
新型コロナよりも怖い病気はいっぱいあるが、遺体について今回のような扱いはしていない。たとえば、多剤耐性の結核(薬の効かない結核)だとか、エイズだとか、肝炎で亡くなった場合でも今回のような指導はしていないし、それで遺族に感染したという話は聞いたことがない。
国立病院機構仙台医療センター・臨床研究部ウイルスセンター長の西村秀一医師へのインタビュー記事

どうして未だに遺体対面が解禁されないのか?

WHOや現場の医師からも、「遺体対面まで禁止する根拠はない」と言われているのに、どうして未だに遺体対面が解禁されないのでしょうか?
この理由は、前述の「自粛のパラドックス」が働いているように思えます。

つまり、もう既に亡くなった方のご遺族。最後の対面すら出来ずに想像を絶する無念に直面してきたご遺族たちは、「それくらい危険なウイルスだから仕方ない」と思うことで、耐え難きを耐えてきたのです。

それが今更になって、「やっぱりそこまでする必要ありませんでした。」とはとても言えない。だから未だに対面禁止が続いてしまっているのでは?と思うわけです。

自粛で失ったモノが多いほど、自粛の必要性を否定できない。
結果として、永遠に自粛が終わらない。

この自粛のパラドックスに気づいて断ち切らなければ、これからも至るところで「過剰自粛」が続くことになるのでは無いでしょうか?

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