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新保拓人とノスタルジー

こんにちは。デザイナーとしてIRENKA KOTANに所属している17歳です。デザイナーとして所属していますが、私自身は写真や映像が好きでよく観たり撮ったりしています。そしてなによりノスタルジックなプロダクトが大好きです。

今回は、なぜ私がノスタルジックなものが好きなのかという話と、ノスタルジックなものを生み出してきたクリエイターを紹介したいと思います。


1.そもそもノスタルジーとは何か

「ノスタルジックなものが好きです」と口癖のように言っているものの、的確に簡潔に説明しろと言われると困ります。nostalgieという言葉自体はフランス語で、懐かしむ気持ちを意味するようですが、懐かしむという動きにはとても含有しきれない哀愁がこの言葉には宿っているように思います。夕方に歩いた堤防から見えた川面の煌めき、カーテンで歪む昼下がりの日差し、冬の影の青さ、学校帰りにふと見上げた夜空に瞬く星、、、そういった日常の何気ない一瞬が「もう戻れない過去のものになったと気付いてしまったときに感じる空虚さ」そして「自分の大したことなさに気付いたときの不安と消えてしまいたくなる気持ち」、この2つがノスタルジーの本質ではないかと考えているところです。

大分むぎ焼酎二階堂のCMはノスタルジー道には外せないものなので、ぜひ見てみてください。「心を刻む線篇」「ふりかえると明日篇」「夢で逢いましょう篇」がおすすめです。制作は株式会社大広(博報堂DYホールディングス傘下)です。

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2.「ノスタルジックなプロダクト」の重要性

近年、跳ねるプロダクトに求められる要素の一つとして、シンプルさが挙げられるように思います。機能や作りに不必要であれば、その部分は余白ではなく無駄だと評価されます。ミニマルに余白は必要ですが、シンプルにとって余白は無駄だと捉えられてしまうのです。ノスタルジーは主にそういった余白部分(ex:バックグラウンドなど)に潜むため、余白という住処を追放されやすい立場にいます。動物たちが住処を失うと絶滅するように、ノスタルジーという概念も住処がなければ存在できません。しかも、動物たちは物理的に存在できても、概念はヒトの脳を通すことでしか存在できないため、社会が生かさなければ人々からその感覚は消え失せてしまいます。概念を生かすとは難しいものです。感覚の域でもありますから、それを形にして世に出し、人々の脳に「これがノスタルジーだよ」とアピールする必要があります。ですから、「ノスタルジックなプロダクト」は重要なのです。感覚や概念など、言語化しにくいものはプロダクトとして可視化し、共有する。余白が捨てられる社会では、その余白を住処として生きてきた概念たちに新しい住処を作ってあげることが必要なのではないかと思うのです。でないとシンプルさと引き換えに置いてきた余白たちを本当に無駄にすることになる。のちの文化の衰退に繋がりかねないのです。どうにかしてそれを食い止めなければならないのではないでしょうか。余白を無駄だと捨てた社会が将来困らないように、それがもし社会の自業自得であったとしても、捨てられた余白たちをどうにかして生かしてあげる。それもまた、クリエイターのお仕事なのではないかと思うわけです。概念と感覚の環境保全みたいなものでしょうか。

3.ノスタルジックなプロダクトを世に送り出すクリエイター

長い前置きになってしまいましたがいよいよ本題です。私の推しクリエイターは、SEP,incに所属する新保拓人さんです。彼を知ったきっかけは、きのこ帝国の「金木犀の夜」のMVでした。秋を感じる光と色彩、人々がドラマチックに映し出され、若い男女がダンスフロアで踊る中、ある女性がひとり物憂げな表情で佇んでいる。綺麗な衣装とメイクが映える顔立ちなのに表情を変えずに明るい夜の中に消えゆく姿…そんな映像に心惹かれ、彼にたどり着きました。彼の主な作品は、Official髭男dismの「Laughter」「I LOVE...」「Pretender」、あいみょん「どうせ死ぬなら」、iri「Wonderland」などで、いずれもディレクターとして参加されています。見てもらえるとわかりますが、彼がディレクションする作品はどれも雰囲気があり、照明や色使いに特徴があります。何より夜が似合い、どこか懐かしさを覚える映像なのです。ノスタルジーとは本来、懐かしむ気持ちを指すと最初に書きました。彼の作品は、ドラマチックで人間味があって、それでいて真っ直ぐで優しい懐かしさを感じるのです。世の女子高生はきっと、彼の映像を「エモい」と言うのだろうと作品を観ながら思いますが、彼の手掛ける映像はセリフがなくとも痛いほど感情が伝わってきてしまうので、確かにエモーショナルであるとも言えます。彼は、見覚えのない景色すら「私の記憶」にしてしまう、観る者を感情の主人公にしてしまう、そういったセンスのあるクリエイターです。(写真引用元: https://www.sep.co.jp/takutoshimpo.html )

「エモい」という言葉の普及に伴い、ノスタルジーが評価されるための道具になっていることに私は一抹の不安を感じています。ただ適当にフラッシュを焚いてぶらした写真や、ホワイトバランスを過度に弄って粒子を多量に吹きかけた映像を、私は「エモい」とは思いません。それを「ノスタルジックだ」と感じることもありません。ノスタルジックなものは、記憶という偶然と計算された雰囲気から成り立つものであると思っています。ノスタルジーが主人公級の存在感を発揮するプロダクトを生み出すクリエイターが増えれば、「エモさ」による安易な概念の消費も無くなるだろうし、シンプルさを求められる社会でも余白たちが生きていけると思うのです。新保拓人さんのような手法で、そういった余白たちのためのクリエイティブを世に送り出したいと今の私は思っています。

IRENKA KOTAN Creator’s Advent Calendar 、第一弾「Your favorite creator」、残りのメンバーも少なくなってきました。次回はどんなクリエイターが登場するんでしょうか。お楽しみに。

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