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【酒のツマミになるテキスト】1.石毛直道「道草のすすめ」

この記事の引用元
石毛直道著『道草を食いながら』

一人飲みが毎晩の眠る前の儀式になってます。

自分のペースで好きなお酒をたしなんで、好きなつまみを食べるひと時は最高です。

というわけで、一人飲みのリラックスタイムのつまみに、ゆるーく読める文章の紹介です。

今回紹介するのは、文化人類学者として功績を残されている石毛直道さんのエッセイです。

タイトルは「道草のすすめ」

以下、まんま引用です。


子どもの頃、「道草を食ってはいけません」と教えられた。

通学や、お使いに行くとき、道で遊んだり、横道にそれて時間を空費することを「道草」という。

だが、なぜ道草を「食う」というのか? 昔の人は、道ばたの野草を摘んで食べたのだろうか? 子ども心に疑問をいだいたことであった。

騎乗して目的地にむかうとき、馬が路傍の草を食べて、到着がおそくなるのが、「道草を食う」 の語源であるらしいとは、大人になって知ったことである。

わたしは、道草を食うことが好きな人間である。旅行をするとき、目的地に一直線でむかうのではなく、回り道をしたり、途中下車をして知らない土地を訪ねたりする。

家から十キロ以内の場所へは、自転車で移動することがおおい。途中で、まだ通ったことのない横道を発見すると、そこに入ってみる。

横道の先には、さらに未知の横道がある。こうして、本道をはずれて回り道ばかりして、道草の味を楽しむのである。

会社員や公務員の出張に、道草を食うことは許されない。「時は金なり」という倫理を徹底させ、最短距離を、最短時間で行くことが要請される。

自分の人生をふりかえってみると、道草だらけである。目標にむかって、まっしぐらに突進するという、効率第一の生き方は、わたしの性にあわない。本道からはずれ、おもしろそうなわき道に踏みこむ、脱線の連続であった。

わき道にそれたら、メーンストリートにはない、路地裏なりのおもしろさがあり、見聞をひろめることができる。道草は、人生の糧としておいしいものである。


(以上、「神戸新聞』夕刊 二〇一二年九月十日、十月十二日、十一月二十九日、十二月十四日)


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