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100年俳句計画(2020/2/18加筆修正・再投稿)

数年ぶりに再読。積ん読がたくさんあるので読んでいこうと思ってるのに、久しぶりにもう一回読みたくて手に取った。
積まれた本はなかなか低くならない。


この本を初めて読んだ数年前、俳句に苦手意識を持っていた私が、しばらく頭の中の五七五が止まらなかった。
ここに出てくる小学生や中学生、大人、みんなが素直にあたたかく、切なく、優しい句を詠んでいた。一つ一つの句にグッと心をつかまれるこの感覚がとても心地良く、癖になる。

十七音に、素直に本音が出せる秘密が隠されている、それが俳句なのだろうか。
そしてそれは俳句が、「感情・心情を詠むのではなく、情景を詠むもの」だから、なのかもしれない。

以前読んだ本に、「俳句とは感情を詠むものではなく、情景を詠むものだ。」といったことが書かれてあった。
その文の注釈には、「“情景”とは、“情”によって切り取られた“景”であり、“景”によって動かされた“情”である」とい書かれていた。とても印象的だった。
俳句を読んで心が揺さぶられるのは、いわゆる“情景”を詠む俳句が要因なのではないかと感じた。

数年前に読んだときとは少し感覚が違ったように感じる。今回、季語の言葉一つ一つにとても心が躍った。
そういえば、大学の、俳句をやっていたいつも着物の先生は、無人島に本を一冊持っていくなら、歳時記だと熱く語っていたことがある。
そのときは、そうなんだと思っただけで、深く考えなかった。私だったら何にするかな、と考えてみた気もするけれど、どんな結論が出たかも記憶に無い。

今思うと感じることがある。季語は、いろいろ想像が膨らむし、一つの言葉で心震える魅力的な言葉がたくさんある。そんな言葉が溢れる歳時記を無人島なんかで読んでしまったら、四季を感じられない寂しさに押しつぶされてしまいそう、という心配まで今ならしてしまう。

五七五の短い中にいろいろ収めるのは大変で、苦しくて、難しくて。十七音は、とても短いけれど、とても奥深い。

  秋
  の
  夜
  長

  夜
  長
  に
  す
  る
  は

  我
  が
  指
  先

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