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若林さんに嫉妬した話

10年ほど前、魅力的な若林さんに惹かれ、大学時代には、若林さんってめちゃくちゃ良い!!って話を友人に熱く語ったことをとても鮮明に覚えている。あれは大学の食堂だった。今よりももっと言語化が未熟だったし、とにかく「何が良いかよく分からんけどめっちゃ好きやねん、ほんまめっちゃ良いねん」と力説した。友人は、「分かる、好きそうやんな。」と言った。

そんな若林さんがnoteを始めたと聞いて、急いで登録した。

でも、私が若林さんの本を初めて手に取ったのは実は数ヶ月前だった。『社会人大学人見知り学部 卒業見込』だ。読み進めていくうちに、どんどん手先が冷えいくのが分かった。私は昔から、興奮すると何故か手先がとても冷たくなる。(おまけに顎がガクガクいうときだってある笑) ほんとはこれは興奮では無いんだろうけど。とにかく、言葉より先に心が動いているのが分かった。

この本の中にいたのは、私だった。


それから若林さんは「何が良いか分からん(説明できない)けど魅力的な人」ではなく、「私の気持ちを分かってくれる人」になった。
もう何年も前の本だというのに。

それから、この気持ちを言語化したくなって、今までブログやTwitter、自分のメモに書いてあったことをここにまとめようと、noteを始めた。
言語化を試みると、想像していたよりもはるかに心が軽くなった。今まで、考えが頭の中をぐるぐるぐるぐる回り続けたり、同じところを行ったり来たりしていたものがアウトプットできたことにより、自分と距離を取って見られるようになった。なかなか良いじゃんって思えるときもあれば、自分ってこんなこと考えてたんだって発見もある。大抵は、そんなこといちいち気にすんなよ、ってことなんだけど。

「私の気持ちを分かってくれる人」である若林さんをもっと知りたいと、今までは、何気なく観ている番組にいて、心にグッとくるコメントをしてくる若林さん、だったのが、自分から若林さんを追いかけてテレビを見、ラジオを聴くようになった。生き方のヒントを得ようと、自分のもどかしさを共感しよう、してもらおうと、追いかけた。

それからしばらくして、miwaさんとのコラボを見る機会があった。このとき「私の気持ちを分かってくれる」若林さんに、とても、とても、とても嫉妬した。カッコよくて、悔しかった。大きな舞台でラップをする若林さんは、とても輝いていた。

そもそも大きな勘違いをしていた。
オードリーの漫才を初めてみたM-1のときの衝撃が蘇った。「じゃなきゃお前と漫才やってないだろ」このセリフに、泣いた。そうだ、オードリーって、若林さんの紡ぐことばって、深く、優しく、温かく、おもしろいんだった。この数ヶ月、とても大きな勘違いをしていた。『社会人大学〜』の頃の若林さんをそのまま現在に持ってきてしまっていた私は、先に進んでいる若林さんに気付いていなかった。


源氏物語の冒頭にこんな一文がある。

はじめより我はと思ひ上がり給へる御方方、めざましきものにおとしめ 嫉み給ふ。

「初めから、我こそはと自負している人は、自分より良い思いをしている人を気に食わない者としてさげすみ、ねたむ。」といった意味になる。
この文がよぎり、胸を突き刺した。思い上がっていたのは、私だ。


でも確実に、『社会人大学〜』での若林さんのことばに、今、私は救われた。私と若林さんは同じ人間ではないし、生まれも育ちも歳も全く違う。同じ人生を歩むわけではない。でもこの先まだまだ、若林さんから遅れながらだろうけれど、たくさん救われるんだろう。以前書いたように、私の中の全てから私の中の一部になっていくんだろう。心の大切なところに、大丈夫、といってもらえるだろう可能性をしまっておくことは、生きていく勇気になる。

私は今思う。未来は明るい。


あちこちオードリーオンラインライブ、楽しみですね!

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