5/2 メッセージボトルを流すみたいに

 今読んでいる本の中に『メッセージボトル』という単語が出てきた。お手紙を書いてボトルに入れて川や海に流すと、いつかどこかで見知らぬ相手が拾って時間も場所も越えてメッセージが届く、というもの。
 ……そういえばキングダムハーツシリーズのどれかで、ミッキーからのメッセージボトルがディスティニーアイランドにいるソラに届いてたな。狙った場所にいる狙った相手に狙っていたタイミングで届いていた。さすが、魔法使いの弟子は違う。……いきなり盛大に脱線したぞ。

 メッセージボトル、実際には流したことはない。けれど、メッセージボトルを流すみたいに、メールを出したことがある。去年のゴールデンウィーク、ほぼ日の『メールするから メールしてね』という、こちらからメールを送ったら、ほぼ日の乗組員の方が書いた文章(メール)がランダムに1通返ってくる、という企画に、メッセージボトルを流すような気持ちでメールを書いて、送った。ゴールデンウィーク初日に『仕事辞めたい』と書いて送り、そのメールの返信のメールへのお礼をもう一度書いて送り、ゴールデンウィーク終盤に『退職届を出した』と送った。

 多分、直接関係してくる職場の人や、友達や知り合いではなくて、言ってしまえば『直接は関係のない』『利害関係のない』知らない人に聞いてほしかった、のだと思う。今となっては、聞いてほしかったのかさえわからない。ただノートに吐き出すだけでもよかったのかもしれない。けれど、去年のそのときは、自動返信で戻ってきたほぼ日の方の文章に、自分の書いたメールとはまったく関係のない内容なのに、ずいぶんとほっとして、助けられたように記憶している。それだけ追い詰められていたということだと思うし、相手が読んだか読んでないかはわからないけれど、(システム的には)どこかに(というか、ほぼ日に)自分の思いが届いた、ということに安心したんだろうな、と思う。伝えたいことが伝わらないと絶望していたときに、とりあえずは受け取ってもらえた、という安堵。

 信頼している人とか身近な人じゃなくて、その場限りかもしれない、二度と会わないような人に聞いてほしい話ってあるよなぁ、という話。感想やアドバイスなんかは求めていない。ただ聞いてほしい。『だったら壁にでも話してろよ』かもしれないけれど、そうじゃなくて、無責任でいいからちゃんと相槌とか打ちながら聞いていてほしい、みたいな。

 今年の『メールするから メールしてね 2019』にあとでメールしてみよう。どんなメールが戻ってくるかな。

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