12/20 丁寧さは手放し方に宿る

 自分のことを、がさつだとか雑だとかまでは思わない(思いたくない)のだけれど、どうにも丁寧さに欠けるな、とはよく思う。

 丁寧ってなんだ。web辞書で引いてみた。goo国語辞書によると、『1.細かいところまで気を配ること。注意深く入念にすること。2.言動が礼儀正しく、配慮が行き届いていること。』だそうだ。

 細かいところまで気を配る。配慮が行き届く。そうなのだ。わたしにはそれが足りていないのだ。四角い部屋を丸く掃く、みたいなところがある。

 中学の吹奏楽部に、ものすごくピアノの上手な先輩がいた。中学時代、どのクラスにもピアノが弾ける子がひとりふたりはいて、文化祭の合唱コンクールのピアノ伴奏をしていたものだけれど、その先輩は、素人の中学生の耳でもレベルが違っていた。先輩が前奏を弾き始めただけで、体育館の空気が変わるのがわかった。そもそも先輩が人気者だったというのもあるけれど、それだけじゃなくて、他の人が弾くのとは違う、ピアノの音がキラキラしていて惹きつけられた。

 対して自分の音は。楽譜をなぞれてはいるけれど、それだけで。合唱コンクールの練習時期、クラスの男子に「お前より、他のクラスのあいつの方がピアノ上手いじゃん」と野次られて、自分でも自覚はあったのに、それをさらに人に指摘されて、恥ずかしかったし悔しかったことを覚えている。

 先輩と自分と、何が違うんだろう。技術レベルも表現力も桁が違う、ということはさておき。部活のとき、先輩がお遊びで部室のグランドピアノを弾いているのを、同じパート特権の特等席で聴きながら、考えた。ある日、気がついた。

 先輩は、弾いた音を、最後まで大事にする。押さえた鍵盤から指を離すまで、音の響きが消えてしまうまで、きちんと気持ちが行き届いている。一音一音に対して、丁寧で、愛がある、と思った。わたしは、音を鳴らす最初のタイミング、打鍵するところにばかり気がいって、鳴らした音の消え際まで、気を配れていなかった。この音を鳴らしたら次はこの音、というふうに。消え際を意識していなかったから、音がぶつんぶつんしていた。気がついてから、音を最後まで意識するようになった。

 丁寧さとは、手放し方だ。手を離す最後の瞬間まで気持ちを注ぎ続けること。

 ピアノだけじゃなくて、日常のすべてに対して言えるかもな、と思った。最後まで気を抜かないことが、丁寧につながる。

 今朝、起きたとき、どこかからか先輩のピアノが聴こえたような気がして。そんなことをふわふわ考えた一日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?