(2)1章9節-10節【洗礼を受けたイエス】
(マルコによる福音書 1:9-11)
9そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 10水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。 11すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
イエス・キリストが洗礼を受けた。
ヨハネがしたパブテスマ(洗礼)は"罪が赦されるための悔い改め"のものであった。その洗礼を罪なきイエスが受けたのは、私たちと同じところに立ってくださったからだ。
罪というのは、英語では"sin"という。罪を犯すということも含めて、もっと深く大きな意味がそこにはある。そう、罪とは神さまから離れた状態そのものを言う。
この罪から赦されるというのは、
神との関係が回復されることだ。
だから、クリスチャンとなるとこの神さまであるイエスとの関係ができる。
私はイエスさまが大好きで、信頼していて従いたいと思っている。それも盲目的に従うのではない。なぜなら自らの意志をもって従うことを神様は願っているからだ。これは私自身のイエスさまへの愛の応答だ。
個人的な話をもう少しだけ書く。
私はキリスト教が嫌いだ。
でもキリストが大好きだ。
神さまの愛に応えたい
どのようなことが神様に信頼し従っていこうとすることであるかを考え続けたい。愛の形には決まった方法がないからこそ、どうしたら、大切に思うイエス様が喜んでくれるのかを考えていきたい。
私がやりたいことを助けてくださいと願うのではなく、神さまがやりたいことに私を使ってください。
このように祈り続けたい!
イエス・キリストが私の罪のために十字架にかかって死に、三日目に復活したこと。その大きすぎる愛にふれたときに、私にとって最も大きな意味を持つことになりました。
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