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人は弱い生きものである
弱いことは悪いことではない。
でも、弱さを持っていることは不便なことが多い。
20歳くらいの時に、喘息を発症した。まあまあ辛かった。それ以来、風邪をひくと喘息がぶり返してくるようになった。2〜3年に一度くらいのペースで風邪をひくので、その度に喘息の症状が出てくる。
一度、症状が出ると完全におさまるまでに1ヶ月くらいかかる。
今回は、今日で3週間くらいだ。少しおさまってきたので、もう少しすると咳が全く出なくなると思う。
咳が出るとけっこう辛い。
相手に気を遣わせてしまう。
あと、話しにくいなど色々と弊害がある。
私は心配されるのが苦手なこともあり、言わないようにしていた。でも、咳は出てしまうものだから、全面的に体調がイマイチだと伝えるのも大事だと思った。
そんなこんなで、毎週日曜20時からやっているYouTubeでのオンライン礼拝では、「わたしは弱い時にこそ強い」というテーマで話してみた。
いつも以上に、内容に対するコメントをたくさんもらった。特に「励まされました」と言ってくださる方が何人もいた。
その言葉に励まされたのは私だ。
弱さを見せることは簡単なことではないと思う。おそらく同意してくれる人が多いはずだ。
弱さを持っていることはただの事実であり、そこに良し悪しはない。でも、私の場合は自分で自分を責めてしまう。
体の痛みや苦しみがあると、心もそこに引っ張られていく。仕事にも集中できなくなる。当たり前のことではあるが、そんな自分を受けれるのが難しい。
誰もが幸せを求めて生きている。
痛みや苦しみがなく、心穏やかに喜びの中を生きることは幸せだ。
でも、痛みや苦しみがあっても幸せない時もある。辛いけれども心配してくれる家族や友人がいる時はそうだ。
弱さがあると幸せではないと勝手に思っていたけど、そうではない。弱さがあるからこそ、人のありがたみが分かる。人を助け求めることもできる。
人は誰もが不完全で欠けがあり、誰かの助けが必要な存在である。自分一人では決して自分を満たせないように造られているのだと思う。
人は弱い生きものである。
これを認めた時に、生きるのが楽になる。人に助けを求める必然を知るからだ。
▼編集後記として
「わたしは弱い時にこそ強い」という逆接的な言葉は聖書に書かれている。弱い時にかそ、人は神を頼る。神を求め、神の強さを体験することができるのは弱さを認めた時だ。そう言った意味でもこの聖書の言葉は私への大きな励ましとなっている。
2024年5月30日
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