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これを奇跡と言わなかったならなんていう?

4歳の時私は死にました。

甲州街道沿いの商店街にあった我が家。通りを挟んで向かいの八百屋へ買い物に行った母を追い、甲州街道に飛び出した私は乗用車にはねられて15メートルほど飛んだという。

病院に運ばれましたが、内臓破裂で内出血し、お腹は真っ黒、出血でパンパンに腫れ、ほぼ即死状態だったそうです。

私の血液型はO型。父はB、母はA。祖母がO型でしたが、その頃は60歳を過ぎた人の血液は新鮮じゃないからダメだと言われたそうで、同じ血液型なのに孫を助けることもできないのかと祖母はひどく落ち込んだそうです。
小さな町で起きた大きな惨事。噂は瞬く間に広がり、そんなこんなで町中のO型の人が集まったそうです。でも意識は戻らず、お医者さんからお腹を切って血だけでも抜きましょうかと言われた時に父は

「もうダメならば女の子だから身体には傷をつけないで欲しい」
と答えたそうです。

その頃私はとても綺麗なお花畑を歩いている夢を見ていました。そこは乳白色の世界で、足元はどこまでもお花が広がっていました。あまりに綺麗でスキップしていると「こっちに来てはいけないよ」と男の人の声がします。つい声のする方へと行くのですが、誰もいません。でも声のする方、声のする方へとその声の主を探していました。

一方病院では私は心肺停止して、瞳孔が開き、ご臨終ですと言われていました。
亡くなったので、身体についていた管を外そうと看護師さんが身体を斜めにしたら、私は口からバケツ二杯分くらいの大量の血液を吐いたそうです。
そして意識が戻りました。

私はというととても綺麗なお花畑を気持ちよくスキップしている最中に突然目が覚めてしまってもうガッカリ。その時、その瞬間からの光景は今もよく覚えています。

私のベッドの周りには大勢の人がいて、みんながハンカチを顔に当てて泣いていました。そこに普段滅多に会えない親戚のおばちゃんがいて、
「おばちゃーん」
と呼んだのに声が出ない。
次の瞬間そのおばちゃんと目が合ったんです。するとおばちゃんは
「ぎゃあーーーっ」
と凄い声を出したので、それにはこっちも驚いてしまって。
あとから聞いた話では死んだはずの私が目を開けて瞬きをしたから、それでびっくりしたんだと言っていました。

退院してからの私はまず東大病院で精密検査を受けました。何しろ死んだはずの人間が生き返ったんですから、良い研究材料だったことでしょう。田舎の病院では説明がつかなかったそうです。その日は一日雨の日で、私をはねた中村さんも一緒でした。
この中村さんはよく病室に来てくれ、人形やおもちゃをお見舞いに持ってきてくれました。とてもいい人だったのは子供心にわかってはいたんですが、なぜか私はその人に懐かなかったことを覚えています。

快気祝いは親戚や近所の人も集まって盛大に行われました。後の七五三の時には、私が長生きするようにと成人式でも着れる着物を父が用意してくれたそうです。

そうそう、祖母の家は近所だったのでよく遊びに行っていましたが、いつも祖父の遺影を見る度に、あの時「こっちに来てはいけないよ」と言ってくれたのはこの人かもしれないなと思っていました。祖父は父が高校生の時に42歳の若さで急性心不全で亡くなっているので、私は全く知る由もないのですが。

死んだはずの人間が生き返ったというだけで、十分奇跡なんですが、実はこの話はここで終わりません。

のちに私は社会人となり、新宿にある某製薬会社に勤務していました。
ある日のこと、仙台営業所から転勤してきた購買部の部長に声をかけられました。

「君は山梨県から通っているんだって?山梨県といえば思い出すことがあるなぁ。うちは昔血液銀行だっただろう? その頃にね、どうしてもO型の血液が必要だから届けてくれっていうんだよ。取るものもとりあえず夜行列車に飛び乗って上野原っていう町に届けたことがある。あそこは町が山の上にあって駅から遠くてね。でも一人の子供の命がかかっていたから必死で届けたことがあるよ。それがさ、帰りには列車はもうなくて大変だった思い出があるよ」
「それはいつ頃の話ですか?」

お互いにどれほど驚いたことか。

私はその時、自分の命を救ってくれた会社で働いていました。そして仕事のストレスから神経性胃炎になって検査を受けた時に、初めて腎臓が片方ないことを知りました。母いわく
「あの時は気が動転していて、どこの臓器が無くなったかなんて気にしてなかった。死んだ子が生き返ったんだからなんでもよかった」
この会社に入社した経緯も、出会った人々も、後々の私の人生に与えた影響が大きかったことを考えると、もしかしたら私はマリオネットで、神様か空の上から操っているのかも知れないなって思うことがあります。多くの神様が人間界を操っているのだとしたら、この先の人生もまだまだ捨てたものじゃないかも。

多くの奇跡があって今を生きています。 


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