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世界のどこかには音楽が鳴り止まない国もある

ビルの3階にある花屋に来て「働かせて下さい」と言うんだから、よっぽど面白い子だなと思った。造形大学の大学院生だという。華奢な身体だけれど、眼が真っ直ぐでお洒落な子、センスがありそうなのはすぐにわかった。男手が欲しかったところだったので即採用。

これがヒロセとの出会いだった。

ヒロセはなんでも吸収していって、自分流を模索していった。花に関しては今一つパッとしないまま数ヶ月が過ぎたが、花のあれこれを話すとヘェ〜とか、ほぉ〜とか言って、素直に聞くところがあり、磨けば光りそうなものはいつも感じていた。彼は良い感じに花を仕上げるが、どこか雑さが否めない。どうしても最後に少し手直しが入る。でも一生懸命に作っているのは伝わっていた。こういう子はある日突然化けることがあると経験から感じてはいた。

ある日、ヒロセの様子がおかしい。彼らしからぬ凡ミスをやった。まぁそれくらいは誰だってある。逆に失敗から多くを学べばいいのだ。だがそれにしてもなんだかいつもと様子が違う。謝りはするが何か言っても生返事みたいな、心ここにあらず状態というか。前の晩に深酒して睡眠不足で仕事にやってきたみたいな感じだった。
若い時はそんなこともあるさとその日は過ぎたが、次の日もそのまた次の日も彼の様子はおかしかった。さすがに仕事に身が入らない彼を見過ごす訳にはいかなかった。

「ヒロセ、今日仕事のあとに時間ある?」

ヒロセはやっぱり来たかという顔をした。

タマハナの中2階は7坪ほどの細長いスペースで、スタッフの休憩場所になっていた。閉店後テーブルを挟んでヒロセと私は座っていた。
 
「一体何が貴方にあったの?」
「すみません」

ヒロセは黙っている。プライベートで何があろうが関係ないが、仕事に支障をきたすのはまずいでしょう?と言っても

「すみません」

「貴方は一体何がしたいの?」

その言葉がヒロセの心を突き刺した。
俯いていた顔から涙がポロポロと溢れた。

「みえさん、俺何がしたいかわからないんです」
「どういうこと?」
「大学卒業を前にして就職する自分が描けなくて、とりあえず大学院へ進んだんです。知り合いの洋服屋で服をデザインしたり、色々やってみたんですが、将来どうする?って時にわからないっていうか…。」

大学院もそろそろ終わりが見えてきて、ここで本気で就職先を決めないといけないのに、何をしていいのか未だにわからないという。中途半端な自分をどうしていいのかわからなくなって凹んでいたらしい。
ある意味素直だから思い詰めて仕事が手につかなくなったということか。

「今まで生きてきた中でこれは夢中になれたとか、本当はこれがやりたかったとか、そういうのはなかったの?」
「だから…それはパーカッションです。中学の時に習いに行ってのめり込みました。こっちに来てからは趣味になっちゃいましたけど。でもあれじゃあ食べて行けない」
「なんで食べていけないと思うの?」
「大学院まで行かせてもらってパーカッションやりたいなんて親にも言えない」

実はタマハナの得意先の美容室に勤めているスタッフが、偶然ヒロセと同じワンルームマンションのたまたま隣りの部屋に住んでいて、
「ヒロセくん、夜中によく叩いてますよ」
おいおい、夜中って。そりゃまずいわ。

そんなことも聞いていたので

「ねぇ、ヒロセ、貴方はパーカッションは好きなの?」
と改めて聞いてみた。

「好きです。一度はパーカッションで食べていきたいと本気で思ったこともあります。でも現実はパーカッションは食べていかれないです」
「死にもの狂いで本気でパーカッションをやったことはあるの?」
「そこまではないです」
「なのに多分無理だから、親に言いにくいからと先に諦めるってことね?それはその程度ってことだ」
「仕方ないです」
「そういう自分が貴方は嫌なんじゃないの?」

涙がまた落ちた。

黙っていた。

「ヒロセのお父さんとお母さんは何歳くらい?」
「52歳です」
「今元気なの?」
「はい」

「じゃあ今しかない。お父さんとお母さんに頭下げて、少しだけ自分に時間を下さいとお願いするしかないな」
ヒロセは何の話?って顔をしてこっちを見た。

「ねぇ、ヒロセ。世界は広いんだよ。この世の中には365日、一年中音楽が鳴り止まない国もある。そこに身を置いてみたら?貴方の身体がどんな反応するのか知りたくない?血が騒いでパーカッションがなくてはならない存在だと気づくかもしれないんだよ」

「親が病気だったり、どうにもお金がなかったりしたら選択肢って本当に限られる。でも今なら貴方は飛び出せないことはないでしょう?」「行けば世界の壁は厚かったと気付いて尻尾巻いて帰ってくるかもしれない。でもそうしたら本気で別の道へと進む決断ができるでしょう?行く価値はあるんじゃないの?」

そこからのヒロセのやることは早かった。心がジャマイカへ飛んだのだ。

タマハナのお客様へは一軒一軒挨拶を済ませ、「みえさんのことをこれからも宜しくお願いします」とかなんとか言っていたようで、スタッフ達にもしっかりと紙に纏めて申し送りを抜かりなくやっていた。お客様やらスタッフみんなからお餞別をもらって、立つ鳥跡を濁さず、あっという間に元気にジャマイカへ旅立って行った。

ヒロセがいなくなってからはお得意先に花を届けたり、活け込みに行くと、どこへ行っても

「ヒロセくんはどうしてるかしらねぇ。今頃はジャマイカで楽しんでるでしょうね」
「もう帰ってこなかったりして?」
「彼の人生もここから大きく変わるね」

などとあちこちからエールの声が届いた。半人前だと思っていたけれど、彼なりにお客様への配慮ができていて、いつのまにか信頼を築いていたことが私には嬉しかった。そんなこともいなくなってから気づくなんて。空を見上げてはジャマイカにいるヒロセにエールを送っていた。

そのヒロセがいなくなって一ヶ月も経たたないある日のことだった。

スタッフが驚くことを言ってきた。
「みえさん、ヒロセなんですが、八王子で見たという人がいるんです」
「そんな馬鹿な…それは人違いでしょう。こんなすぐに帰ってくるはずないし、大体帰ってきたら真っ先にここへ来るでしょう」
「ですよねー」

ところがその二日後、今度はお客さんから
「ヒロセくん、もう日本なんですね」
と言われた。え?どういうこと?本当に本人が八王子に出没したのかと驚いて聞き返してしまった。
「間違いないと思うんですけど…。話したので」

ヒ・ロ・セーーーーーッ!!
どういうこっちゃ!!
なんでここに来なーい!?

それからほどなくして『ヤツ』はタマハナの扉をそぉ〜っと開けてやってきた。

「ちょっとヒロセ!!なんでアンタが今ここにいるのよ。当分帰って来ない覚悟ですって言わなかった?もしかしたら向こうに骨を埋めてくるかもしれないって言わなかった? 送別会して、お餞別までいただいて、アンタなんで今ここにいるのよ!!」

もうここにヤツがいることが信じ難くて、ヒロセの言い訳なんて聞いてる場合じゃないと矢継ぎ早に言葉が飛び出てしまった。

「すみません。本当は真っ先にタマハナに来たかったというか、来ないといけないと思っていました。でも合わせる顔がなくて…」
目が合わせられずヤツは下を向いて話していた。
「本当はまだ帰りたくなかったです。途中でお金がなくなってきて、銀行で下ろせるはずだったんですけど、どうやっても下ろせなくて…」
「下ろし方を聞けば良かったでしょう?」
「そうなんですけど、それを英語で聞けなくてどうしてもわからなくて、もうホントに限界で帰ってきてしまいました!!」

「すみませんっ!!」

こんなオチがあるのか。
もう笑うしかなかった。

後日談だが、ヒロセは大手広告代理店を経て、今では某大手企業で得意なデザインで大活躍をしている。一度広告代理店勤務時代に音を上げてタマハナに戻りたいと言ってきたことがあったけれど、

「石の上にも3年はわかってます。あと2年とりあえず頑張りますが、もし3年経っても気持ちが変わらなかったら戻ってきてもいいですか?」
「3年経ってから言え」
と一蹴した。

あの時、間違っても戻っておいでなんて言わなくて良かった。タマハナはすでに存在してないし、ちっちゃな街のちっちゃな花屋で働かしておいてはいけない存在だった。目覚ましい活躍をしているヒロセの近況を聞く度にジャマイカ事件を思い出してはひとりほくそ笑んでいる私がいる。

人生はこれだからおもしろい。










 

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