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私、をつくってくれた人

約1ヶ月の帰省を終えて、お昼に羽田に戻った。
私の名宛の請求書の中に混ざって、東京での私を2年間強く支えてくれた西片梨帆からの詩集があった。
真っ先に開き、詩集を読む。
あぁ、やっぱり
とても丁寧に、とても穏やかに、気持ちを言葉に表す所が彼女の好きなところで、私の各状況に絶妙にマッチした表し方をするからあの頃からずっと好きなんだ
詩集第1章を読んで、涙が出た。
うまく言葉にできなかった今の環境や、伝える事のできない想い人への気持ちを、すんなりと受け入れられたから。
アーティストって凄い。
友達もいなくなって、仕事しか行き場所が無くなってしまった時も、音楽だけが、特に彼女が味方でいてくれた。
私も、彼女の様に、どん底にいた私が助けられた様に、誰かを元気づけられる人になりたい。

あなたは、今まで人の何倍も、傷ついてる
深く傷ついて、何度も消えようとして、それでも今も生きてる
それがあなたの長所だよ
あなたの笑顔は深いの
何度も傷ついて自分自身で傷を癒やして
そういった、沢山の傷を背負った人しか表現することのできない、切なくて、でもこちらも自然と笑顔になれる深い力を持ってるの
だから、あなたは笑っているだけでいいの
あとは少しは私も頼ってね、友達なんだから
1人で抱え込むのが唯一あなたの悪い所

中学を卒業した後、中居になった彼女がいつかくれたやさしい言葉。
自分の価値を考え出してしまった時この言葉を思い出す。
私は、たった1人でも、誰かを幸せにしてあげられていると感じられるから。

夕方、目の前を通る黄色い中央線を眺めている時、THE BOOMの中央線を、偶然聴いていた。
私は鈍行で彼氏の家へ向かう。
最後になるかもしれない。
中野にある帝京平成大学を通り過ぎる時、あそこに通っている、と隣で笑った彼を思い出す。
一昨年の9月に出会ったひとつ上の彼は、4年付き合う綺麗な彼女がいるのに、私を好きだと言った。
悲しかった。
彼女一途なあなたを好きになったのに。
それから、連絡先は知らない。
名前も忘れた。フリをする。
でも、たまに、あの夜を思い出す。

東京での生活はあと7日間。
この2年間とお別れをするのには、長すぎず、短すぎず、適切な期間なのかもしれない。
とても、穏やかだったとは言えない2年間。
色々な感情を知れた。
逃げずにぶつかった、砕けた、心が死んでしまった日々も沢山あった。
楽しかった記憶より、苦い思い出の方が多いのは、きっと成長できたからだと自己暗示している。
今日の東京は、少し寒い。

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