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「TMCとは何か」がわかるプロローグ


初めまして、大学の「自主ゼミ」、TMCです!
「TMCってなんだ?」となるかもしれません。
まずは、我々TMCの外部顧問によるプロローグをご覧ください!
どうぞよろしくお願いします。
 

 


<TMCについて>


TMCは、ある私立大学で実際に行っている学生主導の「自主ゼミ」です。
※単位無し、無料ボランティア

大学生活で手に入れたいもの、
社会人として一歩早く身につけるべきことを、
詰め込んだ場所(=ゼミ+授業+インターン
+サークル+自主団体)です。
「キャリア教育」を活動テーマとして、座学では無い対人を基本とした「楽しみながら自分の幅を広げる」アクティブ・ラーニングを目指しています。
 
自分を変えたいと思っているメンバーのみを選抜し、「企業人としてのチャレンジ」と「チームで働くこと」を一足早く経験、最終的に「自分を変えるきっかけ」を手に入れる場所です。
ビジネスを共に創り上げる熱く楽しいチーム、シゴトも遊びも全力で、チームを一つの企業と見立ててゴールを目指す、それがTMCの理想です。
 
「単位至上主義」という現在の大学生の常識を打ち破るべく、外資系企業の現役トップを務める元客員教授が顧問としてプロデュース、やる気に満ちた大学生たちと共に奮闘するノンフィクションストーリーです。
 
 

<自己紹介>


松下 元気(マツシタ ゲンキ)〈仮名〉
新卒でスーパーゼネコンに入社。
国内・海外の大規模プロジェクトに関わった後、大手ゲームメーカーへ。

連結経営本部メンバーとしてゲームやカジノの事業戦略に関わったのち、世界最大の仏系ブランドグループにおいてワイン&スピリッツの経営・事業戦略を担当。同社在籍中にシカゴ大学MBA(経営学修士)プログラムを修了。

その後、外資系飲料メーカーの日本代表として日本市場を立ち上げ、現在はアジア全域の統括責任者として10カ国以上のマーケットにおいてビジネスを統括。

2018年4月~2022年3月(4年間)、私立大学で客員教授として授業・ゼミ講師を担当。客員教授退任後の現在も「自主ゼミ」TMCの外部顧問としてTMCをプロデュース。

大学生たちと毎週のように活動(ボランティア)を続けている。家庭では息子と共に中学受験合格を目指し、塾の宿題を毎日コピーする何処にでもいる普通のパパです・・・。
 
 
 

<ゼミ~TMCへ>:2021年12月、TMC立ち上げ4ヶ月前


「うーん、これからどうしようかな・・・」、松下は大きな危機感を感じていた。
ある私立大学で客員教授の話を受けて早4年、今では多少はゼミの人気も出てきて、40名という定員にも達するのにそう時間は掛からなくなった。

ただ、客員教授の任期満了もあと僅かだ。このままきっぱりと辞めるのか、あり得ないぐらい距離の近い学生たちとの関係を優先して、ボランティアとして今の活動を継続するか、中々シビレる選択だ・・・。松下はワイングラスを傾けながら、自問自答を続けた。
 
 
 

<客員教授就任、ゼミ立ち上げ>:2018年4月TMC立ち上げ4年前


話は4年前に遡る。
「わかりました。今の大学生たちに自分が付加価値を与えることができるなら、できる限りのことはやらせていただきます」。
松下は恩師である大学教授の推薦を受けて、この私立大学の客員教授の任を受けた。これが全ての始まりだ。
 
まずは客員教授という聞き慣れない職業について触れよう。大学という場所では、様々な仕事が細分化されている。
その中で客員教授という役職は、今まで企業や団体で経験を積んできた人材が、自分の知識や経験を大学の授業の中で伝え教えるというのが一般的だ。従って大半は現役を退いたプロフェッショナルな人材が、その任に就くことが多い。

だが、自分の本業は、あくまで現役の経営者であり、アジアの統括責任者という立場だ。
その上で客員教授を兼任して、週に一度とはいえ殺人的なスケジュールの中でこの4年間走り続けてきた。
辞めるなら、まさに潮時でもある。
 
そもそもどうして、このスーパーハードな話を受けたのか、それは次の3点が理由である。
第一に自分を理解して受け入れてくれた恩師にはとても感謝していたこと、第二に大学生と関わることで本業にも何かが活かせるのではないかと思ったこと、そして最後に「若い人材を育てる」ということに何よりも興味があったからだ。
 
とはいえ、週に一度3コマある授業への準備と負担は想像を絶する。
本業は一切、手を抜けないどころか、仕事と担当領域は増えるばかり。従って授業準備と授業に費やす時間は、自分の睡眠時間を削るしかない。

授業準備と単純に言っても、「90分x3コマの授業プログラム」の構成を組むというのは相当な重労働だ。しかも生徒の反応を見ながら、アドリブで対応していかなければならない。
大人しい学生が多い場合は、どうやって彼らの反応を引き出すかを考えておく必要がある。
「はぁ、めっちゃ大変だなぁ。まだ授業も始まっていないが、これでこの先4年間も続けられるのか、本当に不安になってきた・・・」。
 
 

<ゼミ立ち上げ、初授業>:2018年4月、TMC立ち上げ4年前


「さあ、今日から頑張るぞ。学生たちが、今日は良い一日だったなと思ってくれるような授業にしよう」。いよいよ本日から授業開始だ。

準備もしっかりした、学生の興味のあるトピックも選んだ、シラバスも気合を入れて書いた。
「一体、何人の大学生が、授業を楽しみにしてくれているのだろうか?」 初授業の教室に入り、松下はすこぶる期待をしていた自分の愚かさを悔いた・・・。
初年度のゼミは希望者はなんと40名定員のうち、10名足らずだった・・・。
初年度ということでゼミの知名度はゼロ、松下の名前なんて誰も知らない、大学には4000人の学生がいるのに、1%も集まらないとは・・・、

別に自分が有名になりたいわけでもなかったが、学生に人生のきっかけを多少なりとも提供できるのではないかと思っていた松下は、
「結局、自分なんて求められていなかったんだな・・・」と最初の授業から打ちひしがれた。
 
ゼミとは別に「多国籍企業の現状」をテーマにした授業では、希望受講者が5名だけ。4000名の学生が在籍していることを考えると、約0.1%。「これは悪い夢なのか・・・」、松下は自分の無力さを思い知った。

ここでは、自分はなんの影響力も持っていない、数百ある授業の一つ、100名以上居る教授の一人であり、新任教授なのだ。
「授業を履修してもらうことが、こんなに難しいことだったのか・・・」、まるで選挙に初めて出馬した新任候補者の気持ちになる。
しかも聞き手である学生側の反応は、全くと言っていいほど期待できない。

「日本の大学生は、まるで壁だ・・・」。その壁に向かって90分間話し続けなければいけない。
大学教授というのは、実はツラく大変な仕事だった。「何かを伝えたら響く、その反応が返ってくる」、この当然のことさえ期待できない。
日本の教育は、何かが足りていないように思える。

「打ったら響く」、そんな学生が集まる大学があれば、教授にも変化が出て、学生の質も偏差値も数年で爆上がりするような気がするのに・・・。「これは自分の授業だけなのか、悪い夢なら覚めてほしい・・・」と考えていたが、帰ってから片付ける仕事の量を想像して、さらに気が重くなった。
 
昨日も今日も、世界中で数万人、数十万人という従業員・ビジネスパートナーを日々相手にしている自分の仕事人生において、3コマ270分は本当に貴重だ。
「やるべきことが山積みなのに、なぜ自分はここにいるのか・・・」。この話を受けたことを、松下は早くも後悔していた・・・。
 
 
 

<客員教授~TMCへ>2021年12月、TMC立ち上げ4ヶ月前


話を、客員教授退任の3ヶ月前に話を戻そう。
「なんだかんだ、続けてきて良かったな」。悩み悩んだ4年前と比べて、この4年で状況は劇的に変わった。
打ちひしがれた最初の授業を機に、松下は毎週の授業でとにかく新しいことにチャレンジした。そしてたどり着いた結論が、「ゼミをインターンシップにする」という方向性だった。

自分の判断は間違っていなかったと、今では確信している。卒業生も各分野で活躍しているし、学生は「チームでシゴトを楽しむ」という感覚もつかんでくれている。
何よりゼミを営業部や企画部等、企業のように見立てて活動するという今のやり方は、自分でなければ指導できないものだ。

一方で、4年弱の歳月が過ぎ、客員教授の任期もあと3ヶ月となった。「一緒に楽しいシゴトをしよう!」という掛け声の下、ゼミに入ってきた40名の学生たちを置いて客員教授を退任し、完全にビジネスの世界に戻っていいのだろうか・・・。
松下は行きつけのバーで物思いに耽っていた
 
「このまま、あの子たちとお別れなのか・・」、松下はまるで自分の実の子供が、親の想像よりも早く巣立ってしまうように感じていた。
「まあ、でも大学なんてそんなものと言えばそんなものだ」。

自分だって数十年前、ゼミの教授でさえ年に数回しか話さない存在だったし、ましてや他の教授と一対一で話した記憶は全くと言っていいほど無い。その意味では、あの子たちにとって、自分もそんな存在になるだけの話だ。
要は「長い人生の中で、一瞬すれ違った一人」になるのだ。
 
「いやいや、ちょっと待て、松下・・・」最初は10人しかいなかったゼミも、段々人気も上がってきた。実際にこの四年間で100人以上の学生を社会に送り出してきたはずだ。
いずれの子も自分が学生時代よりも格段に優秀であり、彼らは今後素晴らしい社会人になってくれると確信している。

しかも、現に数人は年に数回、近況を報告してくれるために連絡をくれる、自分が学生の時には絶対にできなかったことだ。
学生ゆえに自分が何かを求めている時だけ連絡をしてくる輩がほとんどだが、コンスタントに連絡をくれてしっかりと恩を返してくれる学生も10人に一人は存在する。

しかしながら、このまま客員教授を退任してしまうと、彼らとの縁は終わってしまうだろう。
「それでも良いのか?」いわゆる一般的な大学教授のように「一瞬だけ、すれ違った一人になる」ことが自分の望みだったのか? 

「いや、違う・・・」松下は自分に言い聞かせた。自分が教壇に立つ意味、彼らに教えたかったことは3つあったはずだ。
「彼らが自分を変えるきっかけを一つでも多く与えること」、今まで勉強が出来なかったとしても、「自分が変わったと思った瞬間からがスタートだということ」、そして大人の口から
「シゴトは楽しいものなんだと教えること」だった。

そのために殺人的なスケジュールを調整して、彼らと相対する時間を創り出しているのだ。このことを自分のゴールと置けば、あとはシンプルだ。

このゴールを達成するために、自分が大学教授もしくは教授らしい活動を続けるべきなのか?

答えはYESだ。
自分が望み、この子たちが望むのであればこのゼミを続けよう、ゼミという箱がなくなったとしても、違うカタチで継続すればいい。彼らが未来の日本を支える存在になる。

そんな人材を育てることができるのであれば、自分のように平凡な人間でも、若い世代に何らかの「きっかけと価値」を与えることができるはずだ。
 
答えは決まった。
だが、教授を退任する以上、大学としての活動はできないし、大学からのサポートも無い。
その中で、サークルとして続けていくのか、学生団体として続けていくのか、カタチと箱はどうあれ「自主ゼミ」という方向性で行こう。

「まずは、あの子たちの意見と覚悟を聞いてみるしかないな・・・」。自分の思いばかり書いてしまったが、自分は本来マーケターだ。
ここでは「お客様=学生」あっての話であり、如何に優れているものだって相手がそう思ってくれない限り、商品は売れない。

ある程度自分に自信のある松下だったが、「現実的に考えると、まあ続けてくれるのは、おそらく4-5人だろうな・・・」と呟いた。
 松下がそう思うには理由があった。それは、この四年間で学生たちから学んできたことである。

すべての学生がそうだとは言わないが、自分も数十年前、まさにそうだったように、ほとんどの大学生は「短期的なメリット」を追求しがちだ。
どうすれば楽に単位が取れるか?、どうしたら楽に早くお金持ちになれるか?

すなわち「中長期的に見て、今やっておいた方がいいよ」とアドバイスしても、ほとんどの学生は、理解はするものの、行動に移す人は全くと言っていいほど存在しない。
この四年間で学生に何度も言われた、
「先生、結局は単位ですよ。まずは必修科目単位、次に準必修科目、先生の授業はそれ以外に分類されるので、よっぽど変わった生徒しか履修しないんです。

いくら面白い授業、ためになる授業だとしても関係ありません。先生が有名な経営者であっても、どんなに価値のあることを提供しても、学生にとっては楽な90分と単位、そして卒業することに意味があるんです」。

そうだ、これが紛れもない「単位至上主義」という真実であり現実だ。でも、いざ面と向かって言われるとこれ以上無いぐらい悲しくなる・・・。
 
今から自分がやろうとしていることは、まさにお客様である学生たちの「興味の反対」にあるものであり、これが成功する確率は極めて低いだろう。本当に今どきの大学生が単位ももらえないのに、自主ゼミなんていう活動に価値を感じてくれるのか? 

「うーん、勝ち目は少ないけど、まずはみんなに相談してみよう。そもそもみんなが何を求めているのか?を知ることが最優先だな」と言いながら、薄暗いバーでシングルモルトに口を付けた。
 
続く


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