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またぐるぐる考えすぎている気がする

夜母に電話しながら、
「学校行けない休みたい」
と泣いた。

そろそろ親離れをちゃんとしなければと思う。もう23歳。6年制大学の5年生で、同じ歳のみんなはもう社会人1年目を立派にやっている。親の脛齧って、学生という無責任な立場に甘えている私。週に3回は、母に電話をし日々の愚痴やしょうもないことをダラダラと話す。それって頻度高すぎ?そんなに皆んな甘ったれてないよね。

どうしても、環境が苦手で学校に行けない。イジメなどではない。たまたまその週学校での実習が、閉暗所が多く息苦しさを感じてしまう。またあの場所に行かなくちゃいけないと想像したら、気分がどんどん落ちていく。

月曜日サボって、火曜日行って、その日の夜明日また学校に行くと思うと、いっぱいいっぱいになってしまった。

もうサボっちゃ駄目だという思いと、まあ明日サボっても留年しないし、ちょっと印象が悪くなるだけで大丈夫という思いが交差する。

他人に対しては、幾らでも言えてしまう。過労で自殺した方のニュースを見聞きする度に、死んじゃうくらいだったら仕事なんか辞めて逃げちゃえばいいのにと思う。いじめの末、自ら命を絶った学生のニュースに対しては、学校なんか休めばいいし行かなくてもいいじゃないと思う。

でも、自分がサボるのはとんでもない抵抗感がある。

「いいやん行かへんでも」

こういう考えの母で良かった。その言葉が欲しかった。そう言ってくれる人だと思っていた。辛かったら逃げればいい。心身の健康第一だと。自分だけでは自分を許せないから、誰かに背中を押して欲しかった。

本当にもう無理だと思って休むのと、ズル休みと何が違うんだろう。結局行動としては一緒。体調不良を理由に、休んでいる。次の日こそは学校に行くと決める。

***

ねえ、いつになったら感情のコントロールができるようになる?
いつになったら誰かの気分を気にして、引っ張られたりしなくなる?
いつになったら自分の行動を何度も反省したりすることがなくなる?
もうどうしようもなくなってしまうのは、どうすればいい?

ずっと、水面下1センチで溺れているような気分。

若い証拠だよとか、年齢的な問題だよとか、卒業すれば変わるよとか、もうそういう言葉はいらない。私は今変わりたいんだけど。周りの友達みたいに、結局なんだかんだ結果上手くいっている人生みたいな感じが良いんだけど。ちゃんと、ちゃんとしたメンタルを持っていて、それに伴った余裕のある行動ができるようになりたい。がむしゃらに、ハムスターみたいに同じところをぐるぐる走り続けるような気分から抜けたい。

おかしいな、こんなこと高校生まで考えたことなかったはずなのに。何が違ってきちゃったんだろう。大人の余裕みたいなのは、どこでゲットできるんだろう。

実際は皆んなこういうふうに、ごちゃごちゃ意味があるのか無いのかもわからないことを考えたりしていないかな。そうだったら、ちょっと安心するんだけどな。ああああ、休んじゃったな学校。明日は、絶対行く。



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