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『新しい』と『正しい』の矛盾

人は新しいことを生み出して、周りからすごいと思われたい。でも、いざ新しいことを実行する時は億劫になるし不安になる。

人は正しいことを実行して、周りから正しいと思われたい。でも、その正しいことって何を持って正しいという答えはない。

『新しい』と『正しい』には常に矛盾が生じる。

この矛盾との戦いは人生の多くのシーンで起こる。特に、転職する、起業する、留学する、独立するなど環境を変える時に起こりやすい。それは当たり前の反応だ。新しいことは「失敗」や「リスク」がついてくる。正しいことは「周りの反応」「否定・批判」がついてくる。

さらに、新しいことのほとんどは、正しいもセットで生じる。(逆はそんなに多くはない。)新しいことを実行しようとすれば、その行動は正しいのか?という疑問が出てくる。失敗と周りの反応が気になる。だから、非常に厄介な矛盾を抱える。

なぜ、この2つのキーワードを取り上げたかというと、僕自身がここ最近までその矛盾を抱えていたから。詳しい事情を取り上げることはしないが、環境の変化を考えていたことは事実である。

※ちなみに、僕は性格診断で「石橋を叩きまくって渡る」「妥協とは無縁」「誠実で規律正しい」「非衝動的で計画的」というタイプの人間だ。このタイプは、この矛盾を抱えやすいのである。

その矛盾をどう解決するか。ここ最近、それを考える時間が多かった。でも、時間をいくらかけても解決しないことにも気づいた。

その答えはシンプルだった。「答えがないものだから」

答えがないものをいくら考えて解こうとしてもそれは答えがでるわけがない。当たり前だけど、僕も含めて多くの人はその罠にはまってしまう。その上で、僕なりに次の問いができた。

「答えがないということは、そもそも"問い"が間違っているのでは?」

問い自体が間違っているという問い。答えがみつかる問いを立てることができれば、矛盾はなくならないにしても、行動を妨げることはなくなると思った。

答えがないものを考えても意味がない。答えがみつかる問いをつくることに意味がある。そう思えた瞬間に急に合理的になる自分がいてびっくりした。

「やってみれば何かしらの答えが
出るのではないか?」

「そもそもやらなければ答えは
出ないのではないか?」

「新しいことをやってみた
結果の失敗やリスクって何?」

「失敗やリスクはどこまでが自己責任でカバー
できて、どこまでいくと他人に迷惑をかける?」

「正しいということは誰が決める?」

「仮に自分が間違っていると
気づいたら、どうすれば良い?」

「仮に周りに間違っていると
言われたら、どうすれば良い?」

「そもそも周りに間違っていると
否定されたら、何が困る?」

など合理的だし、ある程度答えれる問いであることに気づいた。僕みたいな慎重で注意深い人は、答えがでないと思ったら、でる問いをつくることをしてみてほしい。

その時に重要なポイントが2つある。
一つは、「考える時間のリミット」をつくること。いつまでも考えてしまう傾向がある性格なので時間を仕切る。ちなみに、僕は考えた日の翌朝。一度寝かして、次の日もう一度考えて、それでも答えがでなければ問いを変えるようにしている。

もう一つは、「変えられるもの」と「変えられないもの」を明確に定義すること。変えられるものだけに目を向けて、変えられないものは無視する。問いに対して答えがないのはこの変えられないものに目を向けてしまっていることがほとんど。だから、変えられるものに目を向けることが大事。

その変えられるものの答えは、「自分」。以上。
他人、外部環境、時間といった自分の外側にあるものは基本的に変えられないもの。だから、自分の内側にある自分の思考から行動、習慣を変えることが大事な視点。

『新しい』と『正しい』は非常に人生において大事な要素だが、大事なだけに不安やネガティブな部分が行動を邪魔してくる。そんな時は、

①答えがある問いをつくる
(=合理的な問いをつくる)

②変えられるものに目を向ける
(=自分に目を向ける)

この2つを意識できれば、『新しい』と『正しい』の矛盾は、「両立」に変わる。自分で決断した新しいことにチャレンジすれば、自分にとって正しい答えになる。そう思いながらこれからも、矛盾と向き合い、自分と向き合う。

人生の挑戦に必要な武器は自分だ。

※サムネイル画像:なのなのなさんによるイラストACからのイラストより