怪我して走れないから理想のランニングフォームを過去の哲学を用いて検討_デカルト編
はじめに
引き続き怪我で走れないので
ランニングのネタが無いです。
したがって、今週も皆様興味深々の
哲学でランニングフォームを検討します。
今回は「デカルト」です。
引き続き僕の主観が多分に含まれておりますので
一意見としてご覧いただければ幸いです。
デカルトとは
「我思う故に我有り」で有名な哲学者ですね。
この人はあらゆるものを
徹底的に疑った結果
それでも
「考えているという自分が存在していることは疑えず、事実である」
と考え「我思う故に我有り」とおっしゃったと記憶してます。
僕くらいの低レベルになると
いや「疑っている自分は疑えるじゃん」と思ったんですが
「この疑ってる自分は存在しないのではないか」
⇒「「この疑ってる自分は存在しないのではないか」とさらに疑っている自分を疑ってみる」
⇒「無限ループになるからそんなことはできない」
的な論破をされて負けました。
そもそもデカルトは何で疑おうと思ったの?
デカルトが色々疑ったのは
「考える為の最初のスタート」を
導き出すためだったという説があります。
つまり物事を考えるには「確実に確かなこと」から
スタートさせないといけないんですが
それを「哲学」という分野で作ろうとしたと思われます。
例えば「算数」の勉強をするのに
「数字」は疑ってたらスタートできないと思います。
デカルトはその「算数」でいう「数字」を
作ろうとしたという説です。
ランニングフォームを疑う
さてここで理想のランニングフォームの検討に
デカルト的な思考を入れて考えてみたいと思います。
つまり、ランニングフォームでいう
「算数にとっての数字」のような
要素は何になるのかというところです。
そのようなランニングフォームの
要素を出していくと大体以下のような感じがします。
「前方に進む」
この「前方に進む」から広げていくと
「足で地面に接地する」だったり
「速く」だったり
「楽に」だったりとかを
追加していくこととなると思います。
まずは「前方に進む」為にはどうすれば良いか
次に「足で地面に接地しながら前方に進む」為にはどうすれば良いか
次に「足で地面に接地しながら速く前方に進む」為にはどうすれば良いか
次に「足で地面に接地しながら速く楽に前方に進む」為にはどうすれば良いかという要素を順番に考えていくと
理想のランニングフォームにたどり着く可能性があります。
上記を検討するにあたり
生理学だったり物理学だったりとかの
分野に広がっていくかと思います。
この辺りを徹底研究するのはとても楽しそうです。
そういう意味では学生に戻って
文系ではなく理系の道に進みたいと
思ってしまうくらいランニングが好きです 笑
おわりに
非常にとりとめのない記事になってしまって
大変申し訳ないです。
怪我で走れないとストレスで
思考が整理できなくなるくらい
ランニング中毒であることを自覚しました。
とはいえ、一生走れなくなるくらいだったら
今は休むしかないと思うので
ひたすら我慢します。
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