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2 自由に生きる―タイ仏教僧として―

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 そして次は、村のシーンですね。村にオートバイや軽トラでやってくる行商の人がいて、いわば村のスーパーマ ケット役を果たしてくれています。

そしてこれは、村娘たちが井戸水を汲んでいる様子です。飲み水は、大きな甕にため、それを飲料用とします。一 方、井戸で汲まれた水は、生活用水として、洗濯、食器洗い、水浴び等に使います。

 こちらは托鉢シーンですね。大体五時過ぎ、朝、陽が上がる少し前の曙の頃に出発します。そして約五キロ離れた 近隣の村まで歩いていきます。僧侶は裸足で歩くのがルールで、ご飯やおかずを入れていただく鉢を持っていきます。 私のお寺の周辺は農村で、朝日を浴びながら、新鮮な空気も吸えてとても清々しい気分になります。

 村に着くと、村人がホカホカごはんとおかずを用意して軒先で待ってくれています。子供も、お母さん、お父さん と一緒にうやうやしく合掌をして、供物を鉢に入れてくれます。

 私のお寺近辺は、もち米を食べる人たちと、うるち米を主食にする人たち、両方います。もち米の人たちは手でそのまま鉢の中に入れ、うるち米の人たちは、しゃもじを使って、米を鉢の中に入れます。こうした風景が一日も休みなく続いています。私たち僧侶は基本的に托鉢で得たものを日々の糧にしていきますが、托鉢は日々の糧を得るためだけでなく、僧侶の基本行でもありますので、毎朝欠かすことはありません。

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 こちらのスライドは、供養を受けた後に簡単な祝福の言葉、「今日も一日幸せでありますように。健康でありますように」といった祈りの言葉を唱えているところですね。それから、托鉢の道すがらに小学校もあります。お坊さんに出くわすと、小学生たちは道の脇によけて、腰を下ろし合掌して僧侶を見送ります。

 こちらは中学生ですね。周りに植えてある作物はキャッサバ、タピオカ芋です。ECなどに輸出して、商品作物として消費されています。

 これは、おばあちゃんが托鉢しているシーンですね。ここのお家は、もち米じゃなくて、うるち米ですね。しゃもじですくって、鉢に入れているところですね。ニワトリとか犬とかみんな放し飼いにされていて、このような牧歌的な風景が広がっています。

 こちらも、村人が供物を捧げた後に、お坊さんが祝福の言葉を唱えているシーンです。その後この奥さんには、めでたく双子ちゃんが生まれました。双子ちゃんも今では大きくなって、お母さんの代わりにやってくれています。

 こちらは、托鉢から戻った後の、お寺の中の様子です。近くの村人は、毎朝お寺に来て、お坊さんと一緒にお経を誦んだり、説法を聞いたりします。

 こちらは食事の風景です。いくつかの村にお坊さんたちは分かれて托鉢に行くのですが、お布施いただいた料理は寺に戻るといったん全部分けて、ご飯とおかずとに分け、その後バイキング形式で自分の適量だけまた鉢に入れて食べるというスタイルです。「食事を午後にとってはいけない」という戒律がありますので、正午前に食べるのが基本です。大方の修行寺では朝一回だけ、学問系の寺では、朝方と、お昼前の二回、食すのが普通です。

食事を終えると、鉢や食器を洗って、各々僧坊に戻っていきます。私のお寺は大きな森の中にあり、いまスライド に映されているのは私が三十年間住んでいる僧坊です。こうした掘立小屋みたいな感じのところに住んでいます。 そしてこちらは、瞑想をしている風景。基本的には、樹下で座るとか、そのようなスタイルです。いろんな瞑想法がタイにはあり、私も今日までいろんな技法を学んできました。

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 これは、呼吸を観察するタイプの瞑想をしている様子です。そしてこれは、手動瞑想といって、前回こちらにお招きいただいた際に、簡単なインストラクションをさせていただきましたね。開眼で手を動かしながらその一コマ、一コマに気づいていく瞑想で、沈静化を図るのではなくて、心の覚醒度を上げていくタイプの瞑想ですが、効果は抜群です。日常生活にも落とし込みやすいので、とても重宝しますよ。

 そしてこちらは、歩行瞑想をしているシーンですね。一歩一歩、気づきを伴わせて歩くことで、手動瞑想同様、気 づき、覚醒力を高め、自然に智慧がついてきます。これは、一休みしているところですね。熱帯雨林で特に雨季は蚊が非常に多いです。ですからこんな感じで蚊帳を吊って休憩をとったり、蚊帳の中で瞑想してみたりとか、好みのスタイルで取り組んでいきます。