概念になる前のお話

10年間、僕は女性アイドルを避けていた。
意図的に遠ざけていた。

高校生だった頃。
生活の殆ど全てをぶつけ狂っていたアイドルがいた。

学校をサボって生写真を買いに行ったこともあったし、
知り合いの車に乗せてもらって他県のショッピングモールまで遠征したこともあった。
1回1000円で観れる公演は、自分の生きる意味のように錯覚させてくれた。
劇場の隣のセリアで買う安い便箋は何枚認めたか分からない。
腐るほどあると見誤った時間。
小遣いやお年玉から捻出に捻出を重ねた金。
今思うと無尽蔵だったなと思えるほどの有り余る体力。
これだけは誰にも負けてなかった、負けるわけがないと自負した情熱。
持ち得る全てを差し出していた。
僕の思考は完全に「アイドル」に支配されていた。

その子は茹だるような暑い夏の日に、グループを脱退した。
僕は生写真を買った寒い冬の朝以来に、早退して学校をサボった。
電車とバスを使うほどの距離の帰路を歩いて帰った。
道中、ファンの友達と泣きながら電話した。
誰も居ない家に着いて、大声で泣いた。
絞れるほどかいた汗より涙が止まらなかった。
干からびるほど泣き腫らしても、何も変わらなかった。
何をどうしたって、どうしようもなかった。
3日ほど、何も食べられなかった。

その後も何度か劇場へ足を運んでみたりした。
友人に会いにいくためでも、
まだ未練の残るグループの子達の応援をするためでも、
隣のセリアに立ち寄るためでもなく、
何もすることが無かったからだった。

卒業、脱退、引退、別れは必ずやってくる。
男性よりアイドルとしては寿命の短さが際立つ存在なのはわかりきっている。
それにしたって、美しい去り際ではなかった。
忽然と姿を消したとまでは言わないが、
今となってはもう痕跡が見当たらない。
僕の中以外に。

かくして、僕は「女性アイドル」から距離を置いた。
深入りすることを極端に避けた。
もう二度とこんな想いをしたくなかった。
そもそも僕はバンドが好きだったし、幸い趣味を完全に失わずに済んだ。
もう僕には必要も縁もゆかりもない存在だと決めつけ蓋をした。
その固定観念をぶち壊してくれる存在も全く現れなかった。

10年後まで。

あとがき

これはHKT48が2011年11月27日に福岡でデビューし、
2012年8月18日に突如5人のメンバーの活動辞退が発表されるまでの話です。
そのうちの1人が、ゆうこすのニックネーム(もはや芸名)でお馴染みの菅本裕子さんでした。
僕はその頃から今になっても彼女を応援しています。
未だにです。

ずっと言い続けているのは
「世界で一番かわいいと思っている」
という言葉。
概念、となった今は申し訳ないことに「僅差で二番目」となってしまっている訳ですが。

気が向いたので過去の話をしてみました。
これでもだいぶ端折ったんですよ。

いつか概念になるまでの話もと思ってます。
日向坂46に出会ったきっかけは言うまでもなくオードリーですが、
実は最初に名前を覚えたのもまなふぃだったんですよね。
そんな話もいつか。

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