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「イタソラミツカ」。【物語・先の一打(せんのひとうち)】70

そのときふいに、

「イタソラミツカ」

という、ちいさいちいさいかすかな声の幻聴が、四郎の脳と内耳に直接振動した。

滂沱の涙のうらがわで、ぎゅううっと目をつむり、四郎は本当に考え込んでしまった。
(まさか。この、今、ここか?)

古流の太刀小太刀の扱い者のひとりとしては、もっともっと先の先のきわ、皮一枚をしのいでいる切所(せっしょ)が

「運命のわかれみち」

であるだろう、とあたりをつけていた。

いや、いや、今ではないだろう。

奈々瀬はまだ十八歳になっておらず、四郎は血に飢えた徘徊に捕えられておらず、四郎の理性はまがりなりにもはたらいており、幸福感に甘くゆるんでさえいる。その、今。

なぜこの、なにも成せていない、けれども甘い幸せな、愛する人との大剣ひとふり横たえた距離の、なにも起こっていない夜のしとねで、滂沱の涙にたゆたっている瞬間が

「イタソラミツカ」

が投げ込まれる際(きわ)、なのだ?

解せぬ。解せぬが、運命はひろくひろくゆるやかな平原のようななにもないところで、ふいに覚悟を決めさせるものだ、とするならば

「イタソラミツカ」

が四郎の人生に直接投げ込まれてきた「現在ただいま」にこそ、覚悟のきわはあるべけれ。というものなのだろう。

ちなみに、「イタソラミツカ」とは、「イツカ・ミタソラ」のアナグラムかつ「イタズラヲ・ミツカッタ」「いた、みつけた」との混成造語で、ずっとずっと後年「高橋照美」のペンネームで発表される作品に、入るか除外されるかさえ、今の時点ではわかっていない、単なるおもいつきことばの部品だった。

この語に関してひとつだけ言えることは、

このことばをきいたらすぐに、四郎個人でいうならば、「未来の読者に責任があるということと未来の子孫に責任があるということ」を、なんのりきみもなく了解するという約束語として、子供の遊びのように、「イタソラミツカ」は機能する。
このことばをきいたらすぐに、他人がなにをしてくれるかを問うていた状態から、他人と自分の近しい「これから出会っていくひとびと」に対してどのような貢献をして相互に人生を築くか、という意識に切り替えていく約束語として、子供の遊びのように、「イタソラミツカ」は機能する。
自分をうろうろとさがすのではなく、人生が働き手としての自分をみつけた、幸福でつらい鬼ごっこの、負けを認める。
読んだことのある本の中で言うならば、本の中身はそぐわないが、タイトルだけがふさわしい

「幼年期の終わり」  。


……「やくそくごと」は、それだけだった。

いわば、相互乗り入れの線路の、湘南新宿ラインの大宮あたりしか認識していなかった状態から、いずれ相鉄線との乗り入れ地点を通過する前提に切り替える意識の変更を、

「はいそうですか」

と軽く無条件に前提替えする、<合言葉>のようなもの。
といったらわかりやすいだろうか。

父親に対して先(せん)の一打ちを打ちかかることがあれほど難しい四郎にとって、ジャンルの違う「自分の原稿」と「自分の子育て責任」という、被虐待脳いがいの箇所をスッと使うだけの芸当は、これほど易しいのだった。

いずれにしても、朝から晩まで原稿を書いていられる、という満ち足りた境遇にたどりつくのは、奈々瀬の職業人生を裏方として支えて子育ても主軸で担って、という仕事を卒業するまでタイムリミット暴走を起こすことなく刑法犯にならず短命にも終わらず、という地味な下支えの生活をやりとげてから。

順番としては、そういうことらしい。
滂沱の涙にたゆたったまま、四郎は目をつむったままでそう了解した。

ご先祖様と奥の人と自分の、こじれにこじれてこんがらかった詰みの集積みたいな失敗人生群ひとかかえをかかえたまま、ほかに授かったものはなにもないのだから、この身この境遇を一本のわらしべとして、愚直でバカ正直な旅をはじめなければならない。バカ正直な生き方というものは、無駄なドラマに満ちている。
あっちにぶつかりこっちで挫折し、しなくてもいい苦労を百も二百もしょって、うろうろと何の成果もなく歩くだろう。

人間をよくしっている要領のよい人たちは、もっとやりようがあるのに、と失笑するだろう。

けれどもそれしかやりようがない、人なかで十九年二十年以上を相互に関係しながら生きたことがないのだから。人なかで友達をもったことがないのだから。


四郎はそっと起きて、自分の原稿の続きを打ちに行った。

自分の腹から文字の群れをつかみ出す、無計画な「その瞬間を死にきるまでみじんのなごりもなく生き切ったかどうか」の連続を。
眠っている奈々瀬を置いて、こんな平和な自分のための戦いをできる人生とは、なんと恵まれたことだろう……

親の虐待からのがれ切っていないにもかかわらず、先祖の因果をかかえこんだままにもかかわらず、今この一瞬は、とめどなく、幸せだった。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!