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赤心【物語・先の一打(せんのひとうち)】62


奈々瀬が身を折ったまま、かろうじてパフェののぼりを見ているころ。


ひとり、部屋に残った四郎は、意外にも長時間じっとり懊悩してなどいなかった。


四郎は、高橋と奈々瀬がドアを閉めた音で、反射的に頭をあげた。高橋が、「二時間ほど、どこかほっつき歩いてくる」と言って出たためだ。時計を見る。二時間。二時間。夕飯の支度をしに帰ってくるつもりらしい。

四郎は高橋の部屋のパソコンの電源を立ち上げ、自分の原稿のファイルを開くと、文が途切れた白い画面に、続きの字を増やしていった。ちょっとだけいそいそとしていた。一人になれる時間を待っていたわけではない。高橋がパソコンを使わない時間帯があるとすれば、それは四郎の原稿書きが可能な時間帯だったから。

キーボードをたたきさえすれば、ペンを持てさえすれば、字はそこにたちあがってきた。字は語句や会話やひとり思案を形作った。語句や会話やひとり思案はシーンを形作った。それは四郎の視線が置かれている画面へと、キーボードに載った手指がよどみなく動くことによって、四郎の腹のその奥のみちみちたところから、あふれるように出てきた。

虚空の高いところから「降ってくる」「おりてくる」という表現をする書き方の人たちとは別のところから、これらの字句文言はどうどうと濁流のように低い音を伴って出てくる。


決してかん高くない。


どころか、能の観世の地謡がのどと腹に圧をかけて地底から這い出すような地謡をうたう、そのぐらいの圧が四郎のキーボードには載っていた。

いま、四郎の原稿のなかで、奈々瀬は懸命にしゃべっていた。キーボードがスピードをもって白い画面に字を表すその字の塊は、奈々瀬のふっさりしたまつ毛や、くるんと動いてこちらを見つめてくる黒目がちのひとみをもののみごとに表しながら、不正義に対して戦略も勝算もない小柄な身一つで、唯一、火を吐くような憤りだけをもってただしにいこうとする「おはねちゃん」なみずみずしい生き物を活写していた。その原稿の書き手は、高橋照美というペンネームを持っていた。完全に人となりを隠しきった安心の内側で、キーボードを叩く四郎の指は、ものすごい速さでシーンを疾駆していった。紙のなかでしか生きられないならそれでいい、四郎は満ち足りて次のシーンをいろどっていった。いや、満ち足りてさえもいなかった、キーボードを打つ手が活写している奈々瀬のさまを、胃のあたりが「まだもうすこし」と「それでよし」との間で点検している作業にのみ、すべての情動は道をゆずっていた。


~もし明日死ぬなら、その前に。その前にこれを書いておけてよかったと思うだろうか。その前に奈々瀬とどうすごすだろうか。その前に家の一子相伝の伝人になっておくべきだろうか。いったい、何をもって瞑すべしというのだろう~

等々、キーボードを叩いていないときには、あれこれ逡巡逍遥する、ひそかな、湿って昏い、答えのない密林のあちこち。


それは、一心不乱にキーボードを叩いている時には、一切うちすてられていた。腹からつかみ出す言語表現が「足りている」かどうかにだけ、指と脳髄と全身全霊が付き合っている。それは「集中」ではなく「方中」のたぐいだった。つまり「集中」というには一定の電位電力が前提となるとすれば、キーボードと胃の腑と目と脳がしているこれは、かなりな低電力・省電力モードの運転の連続だったのだ。

くるま の おと がした ……

四郎は時計を見やった。二時間より速かった。ドアがあくまで二分の余裕を、四郎はまだ原稿に費やしていた。そして、

「おかえり」

と言いながら、四郎は原稿のなかでなんどもくりかえした「保存」を最後に一度、ショートカットキーへの左手小指人差し指で、瞬時におわらせた。


ドアをあけた奈々瀬は、四郎の顔を見るなり、「続き、読ませて」と声を上げた。

ただいまの第一声より一心不乱なその声に、四郎は思わず問うた。「押しかけアシスタントさんは、何をする人なの」

「最初の読者。四郎のコンディションが原稿書きに最適かどうかを点検する人でしょ。思ったことや感じたことを表現したことのない四郎が、自分の書き物のなかではちゃんとそれをできているかどうかを点検する人でしょ。四郎自身の悩みや現実生活での行き詰まりが、原稿を進めていくうちに解決のヒントをつかみだしているかどうかを点検する人でしょ、それができてないと、未来の読者もまた、四郎の書いたものを読むうちに悩みや現実生活での行き詰まりが解決・解消しているってメリットを十分受け取れないから。まず筆者ができているかどうかからね。のびのびと制約なく課題が解決されるためにだけ、高橋照美ってペンネームを使ってるんだから、ペンネームの利点を使い尽くしているかどうか。


だから今のところは、ああ、ええと四郎の言語表現でいうと、介錯される前段階の切腹作法が、原稿の、書ききっているかどうか、にみごとに『ひっつい』ちゃってるんだけど、ええとね。


ちゃんとはらわたをつかみだせてますねって状態。赤心あらはれたり、この腹召しにみじんの心名残もなきようすをば、刮目して見よや。という状態が、介錯人も見届け人も全く意識の外にあるままで成立しているならば、それでよし」

玄関で靴を履いたまま、四郎の大切なおはねちゃんは、三歳から四郎の背負わされた「死ぬ練習をよくできましたのくりかえし」に何の躊躇もなく踏み込んできて、四郎の内側で、四郎が死に切れているかどうかを点検するすべての点検項目を、よどみなくすらすらと述べた。四郎は衝撃で倒れるかと思った。自分だけの書き物の内側で、奈々瀬は四郎の知らぬ間に、もう何百度となく、「死にきったか死に切れていないか」の検分をやっていた。

書ききったか書ききれていないか。

奈々瀬が問題にしているのは、そこだけだった。原稿が「降りてくる」たぐいの人たちとは全く別の書き方を、この人は、命のきわで、検分しているのだった。奈々瀬が構成だの構造だの話の起承転結だの、一切問題にしないのは、

書ききったか書ききれていないか。

この切所(せっしょ)だけを、やりきったか、やりきれていないか、の点検以外を、すべて放り捨てているからだった。

「靴脱いで、中に入ろうか」

同じく玄関で、奈々瀬の後ろに立ち尽くしながら、高橋は言った。

四郎は衝撃を受けたまま、二歩、内側へあとずさった。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!