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けりのつかないこと、けじめをつけられないこと。 【物語・先の一打(せんのひとうち)】29

夜中に目が覚めた。さっきは一時四十一分、今度は三時三十四分。隣では奈々瀬がすうすうと寝息を立てている。

四郎は夜目がきく。奈々瀬の寝顔をみた。ほそい首。
信頼されてうれしい、という気分が起きなかった。苦しい、ただ苦しい。何かの罪悪感罪障感と、性欲と食欲のようなものと、支配したい感覚のごった煮。ご先祖さまのものとも「奥の人」のものとも思えず、ただ全部が自分自身と濁ってまじりあって、弁別のしようがない。

ここまで苦しいと、寝顔にキスしてみようかなんて気分さえ起きない。幸せとか嬉しさとかいうものに目が行く余裕が、全くなくなる。

こんどは、そのまま目をつむって眠る努力をすることはあきらめた。
四郎は手洗いに立った。

手洗いから戻ると、高橋が部屋から出てきたところだった。

「寝られない?」

眠そうに二重まぶたをしばたいて、高橋はたずねた。はっきり起きているときには意志の強そうなあごも、不規則な時間に起きた今は、中学生のようなぼんやりした口の結び方だ。

エアコンの暖房をつけて、食卓の椅子に座る。寝られないのかと聞いた高橋の方が、眠りが浅い。だって起きてくるのだから。四郎は気配で起きるが、高橋は訓練の素地なく起きてきている。

「このまんまではいかん感じを、どうにか」四郎の声は控えめで深くて、そして、詰まり詰まりにきこえた。「どうにかせんならん」

高橋は四郎を眺めていた。「このまんまではいかんのは、何についてだろうか」
その人が使ったそのままの言葉を、逐語で使う。その人が考えを進めやすいように、自分というものが消えた状態で使う。ことばと、息の吸い吐きを、その人の世界のもので行う。
世間ではペーシング(ペース合わせ)、バックトラック(おうむ返し)と名づけているらしいそれ。


誰かの中で、名前のついた芸当にとどまっているうちは、違和感を生んでしまうニセモノ。そこをはるかに遠く過ぎてしまったものがやっと、役に立つようになっている。そのころにはもう、高橋がやるように無意識。

相手の脳神経と同期しているので、結果的にとうぜん ペーシング - バックトラッキング - ミラーリング されている、という ”現象が起きてくる” にすぎない。NLPを半端にかじった人間が気持ち悪がられるのは、これを相手の世界の外から、自分の意図でやるから。不純物濃度をもつ ”操作” は、そこはかとなく気持ちが悪い。

高橋の場合重症なのは、小さいころに無意識に習得したがために「目的を持ったペーシング(ペース合わせ) ー リーディング(誘導)」という組み立てが、コンサルタント訓練初期において、全く入らなかったことだ。

つまり看護した病者の世界に取り込まれたまま、着地点を持たず翻弄される過程で身についた。これほど苦しいものもあまりなく、それでいて他人には羨ましがられる。

四郎の「一読して誤字脱字発見率100%」というスキルと、匂いが似ていた。それは小学生時代、友達がひとりもいなかった六年間を埋めながら生き延びるために、延々と本の中で暮らす過程で身についた。

他人には羨ましがられる。

「同じ体験をしてみろって言いたい。能天気に羨ましがってられるほうが、どれだけ幸せか。なあ」

と、高橋が四郎に言ったことがあって、四郎は気分が楽になった。
友達ができる、というのは、話の合う誰かが見つかる、ということなのだ……そんな晴れ間のような気分。

わかる世界を持った同士が寄り合うのは、自然で危険だ。
虐待サバイバーは、虐待しない人が退屈すぎておもしろくなさすぎると感じる、といっては表現がおかしいだろうか。
「なにそれ?」と肩透かしをくらうこともある、とでも言おうか。
あまりの苦痛のなさ、葛藤のなさに拍子抜けして違和感をもつ、といっては表現がおかしいだろうか。

わけのわからない被害に翻弄される世界がどんなに嫌でも、自分がいやおうなく発達させたシナプスに合う信号を発信する代物をみつけたとたん、あぁこれこれ、としっくりきてしまう。その絶望的な安心感の授受。

能天気に羨ましがってられる苦労知らずな人生の方が、どれだけ幸せか。
そこに憎しみを持っている限り、その世界の住人ではありえない……

そういう意味で危険だ。能天気に羨ましがってられる人生に親和感を持てさえすれば、幸せとか嬉しさとかがあふれている世界の住人になれるのに。


「このまんまではいかんのは、何についてだろうか」と問われて、四郎は言った。「お母さん傷したこと。親父に殺されかけたこと」
またやらかすんじゃないかと思ってる。それは、過去が決着していないから。

「お母さん殺しかけたこと、親父に傷されたこと」という表現はできない。怯えと傷つきが、主観でそれぞれそういう重みになっているから。

「お母さん殺しかけた」という表現ができるほど耐性がない。「親父に傷された」という表現ができるほど整理がついてない。


「まだ無理なら、ほっとけよ」高橋はまるで、夏休みの自由研究をどうするか、という話題のように言った。「何かを終わらせなきゃ幸せになっちゃいけない、というボトルネックの作り方をするのは、それは必要ないかもしれないから。悪影響がないようにしとくだけでいいわけだから」

「無理でも、おちつかん……」

「うん」と高橋は言った。うぅん、とか、うーむ、とかいう感じで。そうだなあ、というニュアンスで。

「奈々ちゃんに対してやらかさなければセーフ。セーフ。セーフにするには。うん、そうだなあ」と言った。セーフ、というとき、将棋の3二飛、というように言った。「最小の手かずで」と。

「徹さんに殺されかけたことは、それは今はいいや。奈々ちゃんには何かやらかすもとにはならないから。
お母さんのほうだな。どう? そう?」

四郎はまじまじと高橋をみて、あいまいにうなずいた。

うなずいた時にもう、母親と奈々瀬は違うとわかった。奈々瀬に対してやらかさなければいい。たぶん奈々瀬が十八になるまでは、”やらか” さない。

ではどうして、こうまでぐちゃぐちゃと過去についての繰り言にまみれるのだ、自分は。決着がつく気が全くしない。折り合いをつけられる気が。


「じゃあさ、今できることは、他人の目で風景を見てごらん。小さいビデオ画面を見るようにさ。自分の主観で自分の感情を思い出すと、トラウマが深くなって脱出がもっと難しくなるだろう? それはよそうよ。通行人になって、その風景を目撃してみて。ちょっと遠くから」

「うん……」

四郎はテーブルの横を眺めた。そこに小さいビデオ画面を見るように。高橋もとうぜん、おなじ画面を何もないところに見るように見ている。

四郎の視線が斜め下を見ていることは、高橋は無意識に、要件として確認している。視線が目の位置より上を見てしまうとき、その記憶に人は圧倒されていることを示す。目の位置より下へ記憶映像を引きずりおろさせ、掌握下に置かせることで、翻弄されることを防ぐ。

高橋の場合重症なのは、このとき右脳が同期しすぎていて、相手が見ているビデオ映像が、ときどき気配でわかる。
ミラーニューロンの同期発火が、必要をこえて多すぎるのだ。そこは、こんご調整していかなければならない。

映像でわかる霊能者がいるが、その映像は時々ニセモノだったりする。「同期発火した自分の脳神経に格納された方の、自分の世界の映像」をみている場合があるのだ。
気配でよかった、と高橋は思うことがある。映像で見てしまっていたら、会社勤めから逸脱せざるを得なかった可能性がある。

そして四郎の体験は、映像では見ない方がいい。


小学校五年のとき。
四郎は母親に重傷を負わせた。つまりは殺しかけた。暴走したご先祖さまたちが、「奥の人」と四郎とにかぶさってきて、何がなんだかわけがわからなくなった。気づいたら母親は血まみれで、自分は父親に木刀で叩きのめされて縛られて物置に放り込まれていた。母親は入院して、右目と右の腎臓とがだめだった。母親はそれ以来、片方の目が義眼。

中学二年の時。
四郎は父親と真剣稽古をしていて、父が不用意に前へがくっとのめってきて左の鎖骨から肩先を切り払われた。一撃目は過失だった。立てなくなったとき、上から床におしつけてかぶさった父親に、同じところをもう一度切りなおされた。つまりは殺されかけた。失血死しそうになった四郎は途中から傍観者になっていた。普段奥に押し込められていた「奥の人」が康おじを呼んで四郎の止血をさせて、生き延びた。長い養生だった。今も冬はとくに、傷がひっつれて痛む。

この深い深い刀傷がひっつれて痛むということは、冬には母親の目と腎臓を摘出した傷あとも、痛むのだろう……


何度かビデオ画面から視線がはずれかけて主観に陥る四郎を、ぎゅっと腕を持って引き戻した高橋だった。四郎は感想をのべた。

「ああ……俺、俺さあ、自分のこと、まともな人間やないと思っとる」

「そう思ってたの」

「今も思っとる」
やっとこさ一度きり客観した、という声だった。

「いつ、捉え方を変えるの、奈々ちゃんのために、芙美さんのために」高橋は母親の名前まで出してみた。
「というのもね、一般的な犯罪被害者にとっては、加害者が更生した、成長した、社会的に役に立つ人間になった、という事象が起こって初めて、じゃあ謝罪を受け入れようかという気にもなるよ。

芙美さんにとっては片目は戻ってこないし、片っぽの腎臓は戻ってこないよな。

芙美さんは ”もう治ってまっとるんやでええて” という表現をしてくれてるけど、四郎は全然、償えた気になってないよね。

じゃあ目を喪った腎臓を喪った甲斐もあったってもんだ、って気になるには、かわいい息子がどうなってりゃ、甲斐もあったって思えるわけ」

「……堂々として、落ち着いて、信頼できる人間になること……」四郎は自信なさそうにつぶやいた。「とか?」

「とか」高橋は同意した。「そうだね」

「だから客観に出て、通りすがりの人間も ”ああ、この子は更生してますね! 過去の影を引きずってませんね。あたかも何もなかったように、それ以上に信頼感を築き続けた努力のあとが見えますね” と言えるところまで、ひたすら脱出して生活と人となりとを堂々とさせ続けるべきなんだよお前は。通りすがりの人も認めるぐらいまでね。

あのときあれをやらかしたから、あのときこれをやられたから、という記憶の影を引きずっているかぎり、お前は堂々ともしないし、落ち着きもないし、信頼できる人間にもなってないのさ。

そこをまっさらに越えなきゃなんない。幸せに楽しむってことは、過去の影を引きずらないってことなのさ。

それは相当の覚悟なしにはできないぞ。

人間、罪悪感をもったままでぐじゅぐじゅやったり、開き直って自己正当化してたり、被害者意識をもって怒ってたり言い訳してたりするほうが、はるかにそれよりラクなんだからな」

「よし」四郎は唇をかみながら天井を見上げた。「奈々瀬を幸せにする、てってことは、俺は罪悪感にさいなまれとってはいかん。能天気にキスしたり抱きしめたりができるような状態にならなあかん」

「できそうか」高橋はそこはかとなく笑った。
「ちょっと奈々瀬と相談する。傷しとる間はそんな気分にもならんやろうしな」

「寝よう」高橋が椅子を立ちかけた。高橋が持ち出して自分のスキルを相手に差し出し、時間を相手に差し出し、エネルギーを相手に差し出し、相手が受け取ったきりになるのは、いつも相手にはここまでの互助能力はないからだった。高橋は同じ助けを必要としているのにもかかわらず。


「ちょっとまって」四郎はそれをとどめた。

というのは。

なぜ、我々は通常どおりの仕事の前夜、こうやって起きてしゃべっているのだ? という疑問がふとわいたのだった。四郎は押し黙った。

何かに気づいた。過去からの呼び声のような何かに。

「お前さぁ」四郎は自分自身の考えに驚いたように、ふと言った。「今気がついたんやけど、祐華おばさんにつられて起きる癖、あったんやないか」

「……あった」高橋は、やばいことに気がついた、という顔で答えた。「これは、それか」うろたえたように言った。

「だってさぁ祐華おばさんさあ、油断すると窓開けて、はだしで二階から出るんだぜ。 ”とろけたチョコみたいに濃ゆいココア作ってきてあげるから、出ないでここにいなよー” とかコソコソしゃべって、自分が飲むふりして一階の台所に忍び込んで、ココア作るじゃん……。起きて止めないとさ、とにかく。家から逃げ出されるとホント近所の人にもああだこうだ言われるしさ。居場所のなさ感と自分探しが、もろ症状化しちゃうとたまらないよ? 一緒に住む側は」言いながら高橋は思った、まさに言い訳だ。被害者意識満載でこぼしている。ああ、横っちょビデオで見られる気がしない。

「お前さぁ」四郎は暗澹たる表情で言った。「俺らにおいしいもん食わしてくれるの、その延長やないか」

「……よせよ……」高橋は思わず、自分の胴をつかみしめた。「くそぉそれだ」


濁った意図は気持ちが悪い。高橋はその瞬間、料理を捨てよう、と反射的に一瞬思ったほどだった。四郎は知ってか知らずか、つづけて言った。


「着地点は、とろけたチョコみたいに濃ゆいココア作ってきてあげるから、おばさん、ここじゃないのどこかなの、ここじゃないのにどこだかわからないの、とか言ってどこかへさまよって行ったりしないで、ここでしばしの幸せを味わおうよ、てってうながしやったんやないのか」

四郎は後日高橋に、「なんであのとき標準語で僕の使う言葉をそのままバックトラック(おうむ返し)して、するんと僕に入れたの」と聞かれたとき「知らんて。無意識やてそんなもん」と言った。
それはたぶん、殴る蹴るで入れられた武術武芸のコピー技だった。

羨ましがられても、羨ましいなら同じ体験をしてみろよ、としか言えないそれ。芸は身を助く、なんてきいたふうなことをいう奴の、口を殴ってやりたくなるそれ。


「あっ」高橋は身をつかみしめたまま、ふいに気づきを得た顔になった。

「僕は、僕は流されたままじゃなかったんだ、リーディング(誘導)をちゃんとしていたんだ、とろけたチョコみたいな濃ゆいココアで釣りながら」


高橋が翻弄される渦のような発狂恐怖のただ中に、幼い自分自身の能動的な働きかけ……という有能さのかけらを見出した瞬間だった。

無力さを脱出するためのかけらのようなものを。

この日からだったろうか。高橋が自嘲的に「僕はコンサルタントには向いてないなあ」とこぼすことがなくなったのは。


「お前が親友でよかったよ」と高橋は言って、「おやすみ」とつぶやいた。それはとうとう、互助関係を築くことができる対等性を持つ相手を見出しえた、という幸せな「おやすみ」だった。

泥沼を脱出するザイルパートナーを見出しえた、と何度目だろうか確信した、そういうたぐいの幸せ。


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《筆者メモ》 話が拡散するかもしれなくて、いっそ触れずに次の場面に移ろうかと思ったりもしました。三日もかかってしまいました。未整理な、専門的すぎる表現が多くて(表現がこなれてなくて未熟で)すいません。でも必要な人もいるかもしれないので、書いてから次の場面へ行きます。いつもご愛読、ありがとうございます。あなたが読んで下さるので、この物語は続きます。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!