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ヨワミ ニ ツケコム モノ カラ ニゲル【物語・先の一打(せんのひとうち)】59


「康三郎おじさんの話に戻すと、四郎が14歳のときお父さんに殺されそうになって、康三郎おじさんが四郎の手当てをして治るまでの面倒をみてくれていたうちずっと、康三郎おじさんにとって四郎ってなんでもないんです。アクマさん……”奥の人”に、何度もじっと見られて、康三郎さんのほうがどぎまぎして避けてる感じでした……」

高橋はまるで自分の回想のように、つながって共有していた四郎の記憶をぼつぼつと語る奈々瀬を、みていた。

「高2のころ、四郎が、康三郎おじさんの自分を見る目が変わって、動作も視線も、ねばっとくっついてくる感じになって、変にやさしくなったその優しさが、なんかおかしくなった、って気がついて、”これは何だろう何だろう”ってずーっとことばにできずに、いぶかしく思いながら、下手につかまらないように立ち回りはじめた感じで」

奈々瀬は口をつぐんだ。息を止めた。

(十六歳で身体情報読みで、いちばん”いやだ”と思ったことを、四郎のために、しよう。高橋さんのために、しよう)


と、奈々瀬は、自分に言い聞かせなおすように、ゆっくりと自分の心の中で思ってみた。

(ドキドキするような初恋は、もうすでに捨てた。二人がひどく困ったとき、助けるようにする、と、もう決めた)


と、くりかえしてたしかめなければならないほど、それは恥ずかしくて嫌なことだった。

「康三郎さんは、十七、八歳の男の子が恋のどストライクにはまっちゃう人だから、大人対子供、って言ってもいいでしょ?」


奈々瀬は、息を一瞬止めて、続きを話した。

「あの時期の男の子の、体悩みのいっぱいいっぱいさにつけこまれたら、同性が知り尽くしてる、体の、気持ちいいことをされるもんだから、どうしようもなく体は反応して、なついていっちゃうじゃないですか。


自分の意思を自分が通す、ということができなくなって、気持ちいいことされるのが、何されてるんだか自分でもよくわからなくて、とっさに逃げられないし、どうはねつけていいかわからなくなっちゃうし。一度反応したら、口でいやだいやだ言ってても体は嬉しがってるぞ、本当は好きなんだろう、お前がだれにも言えない秘密を持っているんだぞなんて、洗脳されて相談先を潰されるような言葉を流し込まれて。


自分の価値を踏みにじる、支配する側の勝手な理屈に、被害者自身までが屈服して、同意しちゃうじゃないですか」

ああーー言っちゃった言っちゃった言っちゃった失言失言失言気まずい気まずい気まずい!!!!!

奈々瀬の動悸が、ドクっドクっドクっドクっからどごっどごっどごっどごっどごっというような音へ、地獄乱打とも言うべき早鐘に変化して、どうしようもなくなった。


奈々瀬はおかまいなしに話し続けた。「おはねちゃん」と呼ばれる勇気と無鉄砲の塊は、止まるとか引くとかの戦術を、死んでも選ばない。

声は震え、心臓はひっくりかえっている。


十六歳女子が、高橋みたいな若くてかっこいい男に話す話では、断じてない!

「体の欲望に忠実、ということは、あの一族にとっては、地域の住民を殺して血を飲んで快楽をむさぼる、ということだから、そこへつながっていってしまうと、戻りようのない一本道を、どんどん、どんどん進んでいっちゃうじゃないですか。

そういうことを、四郎は警戒していて、でもうまく言葉にできていなくって。


それで、いちどはまったらあともどりできないから、いちどやっちゃったらとりかえしがつかないから、まさかの一度目がないように、避けてまわっているんです。ここまでならば大丈夫、って線が全然わからないから、はじめから身動き取れずに固まっちゃって警戒してますよね。

ええと、ことばにしづらいんですけど、女子の私が、おなじような状況にクラスの女子の友達が置かれて、されちゃった状況を知ったとしたら。ですね。


いくら今現在、相手の年上の男の人に夢中で、相思相愛になっていたとしても、それは、はじまりかたが強制で支配でふみにじりで……レイプだ、って、思うんじゃないかな、とおもいます。

加害者側、しかけた側は、自分の本能の正当化ですから、他人の人権や他人の未来を踏みにじっている、ってことに直面したくなくって、気づかないふりをして軽く流しています。でもそれは、同意、というよりは、誘拐犯が飴で子供を釣ったような犯罪行為です」

どくっどくっどくっどくっどくっどくっ、と、心臓はめちゃくちゃに鼓動を狂わせたまま走っていっている。奈々瀬は話をやめた。自分がなにを言ったのかわかってないぐらい、半分酸欠状態になっていた。


「……なるほど……」

高橋の瞳孔が動いた。ちいさな ”それでわかった” という晴れやかさが、高橋のなかにすっくと打ち立った。


奈々瀬に対する尊敬のようなものが、同時に頭をもたげていて、もう自分はどうしようもなく、この勇気の塊が、ぷりんとした凹凸とみずみずしい肌と、かわいい瞳や鼻や口元やあごをもっているのが、たまらない、と思った。

高橋はこのときまで、四郎が潔癖なだけだろうと思っていた。


あやうく、「自分の親友が嫌がることには、なにか理由があるはずだ」という一点を大切にしてやらずに、流してしまうところだった。


違っていた。四郎は、自分の親族からの度重なる心と体の殺人から、自分の心身を必死で守ろうとしていたのだ。

「あの家の人たちは、四郎を踏みにじるんです。四郎に恋をしているおじさんでさえ、四郎を踏みつけにすることは考えても、四郎の味方には決してなってくれない。


康三郎おじさんは、自分の欲望を正当化して、四郎が大事にしたいと思ってることを踏みにじるんです。


おじさんのものさしで、四郎を道具みたいに扱ってしまう。おじさんのものさしは、ご先祖さまや奥の人たちとおなじものさし、ふみにじりのものさし、支配のものさしだから。

お父さんは、お父さんのものさしで、四郎をめちゃくちゃにつぶしてしまう。


四郎は、それに対して ”やめてくれ” と言ってるんです」

言えた! と、奈々瀬はついに南極点に到達したアムンゼンのように、自分の心に自分の旗を立てて見上げ、へとへとな自分の中に倒れこみながら、かすかに、誇らしく思った。


表現し得たのだ。

表現し得たのだ。表現し得たのだ。


心臓は早鐘をうち、呼吸はどこかへ行ってしまい、脂汗が出て吐きそうだ。嵐のような自分の反応から一本、高い旗を立てたのだ。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!