言葉の無実。「抑圧 と 自由」、その続き

たかてる(高橋照美)です。

先日、笹塚心琴さんの「言葉が抑圧を生む」を受けて……

「物書きは言葉で解放すると決めたイキモノ。」というコメントを書きこんだのですね。

今日、四郎から
僕が書いたコメントのうち

「抑圧は大脳と旧皮質が受け持つ。意識化(自覚)と言語化と直感は、抑圧にも解放にも使える。」

 ↑  ここ、大雑把(おおざっぱ)すぎやへん?

とチェックが入りまして……ドキドキ。
(四郎は、はしょって不正確なものを、こういうふうに蒸し返すんで:汗)


臨床家でも専門家でもない
抑圧からせっせと脱出しつづけてるひとりとして

今の時点での、いちおうの把握を
整理しておいてはどうか。と。

で、整理してみます。

抑圧(よくあつ)」って、どんなのかというと……

自由じゃない反応。自由じゃない状況の強制が続いていること


それは、感覚や感情の不快・わだかまり感 や
安全感・安心感が感じられないため、言葉をのみこむ(対話や別の意見をがまんする)動き や
脱出もキケンなので、その場にとどまろうとする動き など。
自分でも不本意なのに、とっさに抵抗できないものですよね。

不快の度合いがつよいので
快をこのみ、不快を避ける本能にしたがうと
「陰でこっそり、別の反応ができるようにカイゼンしておこう~」とはならず

(1)別のことで気をまぎらわし、
(2)その抑圧に直面するとワンパターンの反応を繰り返し、
(3)不愉快なのでずーーっとなんか、怒ってる(原因わかんない)

という反応が多いです。
これがあるので、本能に従っててもいっこうに抑圧が解消されない。

ひどい抑圧は、トラウマ後の心理的傷や、解離(無意識に押しこんで直面を防ぐ自己防衛)、心身の不一致感、症状への変換、被害者による別の人間への加害(新たな抑圧)などへとつながっていくものと思われます。

ではこれらは、言葉によってもたらされるか?

……というと。

言葉は犯人じゃないかも」というのが、たどってみての結論。


人への、衣食住や所属・生命維持に対するおびやかしは
言語のみによることはほぼなく、圧迫や暴力、強制といった非言語の割合が高い。言葉の占める割合は、もしかすると三割以下かもしれない。

そして仮に、「言葉が原因、由来」と置いてみると……それは

「ツール悪者論」つまり「お金は悪だ」みたいなロジックになっちゃうかもしれないね。

まず我々は、ここまで整理しました。


で、
続いて「抑圧は、被害者の心身にどう入りこむか?」を追うと

扁桃体、海馬、脊髄神経系、体細胞がショックを受けるわけです。

脊髄反射的に闘争か逃走かの二択(フリーズは「逃走」に含みます)。そして、強い感覚感情のゆさぶりがあるので、海馬の問答無用のセレクションにより、長期記憶に感情とセットで焼きつきます。

抑圧とは、この「学習」が一度以上、ひどいときは何度も行われて、本人も脱却したいのに、自由意思による反応を選べない状態になること。

ハツカネズミも犬猫も、抑圧は非言語レベルで蓄積・保持します。
確信犯として抑圧する側がいるとしたら、抵抗がむずかしい「生命や安全や尊厳へのおびやかし」を、手段の組み合わせで行うはずです。

抑圧状態に置かれながらもスペースと自由を探って解放に至った例は、『夜と霧』のフランクルや、ガンジー、ネルソン・マンデラほかに学べます。


大脳の記憶のされかたは「エピソード記憶」(感情を伴うストーリーの塊に編集された記憶)ですから、記憶された時点で辛いストーリーを伴う解釈が、必ずくっついてデフォルメされ、格納されます。

解放するには、その時の状況と感覚感情をふりかえり整理して、新しい意味づけやストーリーにのせてやり、安心感や自己肯定感、自己効力感とセットの記憶編集をしてやればOK。ということになるでしょう。
(すっごく重要なことを三行ですませてスイマセン)

もしも「生まれたての赤ん坊の状態」を「抑圧のない状態」と仮定すると、「自由にふるまえばいい」として出てくる行為は、「未解放の抑圧を温存したままのストレス代償行動」を大いに含みます。胎児期、ことによると家系記憶か過去生記憶か訳のわからん説明のつきにくい抑圧まで、人間は赤ん坊のとき、すでに背負っていますから。

これは、やってみると大事な人への影響大ですから、結果を見て仮説を修正していくことができれば、大いに進歩ですよね。

たとえば解放と称して何かを悪者にして闘っても、一向に解放された実感は伴わないので「正義の不機嫌」はエスカレートするばかりになることも、やがて観察できるのではないでしょうか……


あとは、物書きのはしくれとして仲間に手渡すことばがあるとしたら
こんなこと ↓

「言葉」って、大切にしてる人ってキラキラしてるんですよね。
うらやましくっていじわるが口から飛び出すひとがあなたの隣にいたら、ペシッてしてあげてください。対等性は、ある種のイキモノ的迫力が守ります。


~うん。僕だいぶ、はしょりましたね!
(むしろ、このレベルで要素分解したの、初)

結論。

抑圧の主軸は、原始的な脅しを脊髄系に手渡す割合が高いようです……

それは、言葉に原因を帰してしまうと、正しくメカニズムをとらえきっていないのかもしれません。

もしも、地道な解放をめざさずにストレス代償行動が無自覚につづいてると、新たなイライラの原因になってるかもしれません。

言葉、いちおう無罪~~
いちおうってなんだよ! ってツッコんどいてください。



抑圧する言葉は、その奥に発言者の攻撃的な感覚感情を隠しており、我々はたぶん、そちらに右脳・体細胞系が先に反射反応してます。

「言葉によって傷ついた」とは、細かく表現するなら

「自分の過去の傷つきが解放未完了であることを、特定の言葉の発信者が奥に隠した攻撃的な感情によって、思い出してしまった」。

そしてそれに向き合えない状態にある、という悲鳴。痛くてたまらない状況では、他人のせい環境のせい何かのせいに、せざるを得ないですから。


我々の整理は、今のところは、こんなかんじ。

誰かの何かの役に立てば。
「言葉というツールでやろう」としたら、
ここまでくどくメンドく非抑圧的になる実例じゃん(笑)
というぐらい、ぶきっちょな記事になりましたね。マジすみません。


もうちょい、わかりやすい文章の練習します:汗


このあとの
有料部分には、僕らが主にどんな抑圧に困ってたか、困ってるか、楽になりつつあるかの対話を。すっごいナマな話で、四郎が起きてこなくなっちゃった。どうしよ。

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「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!