見出し画像

ライム、鮮烈な青い柑橘ーー秋の月、風の夜(23)

「はじめてのお客様、何杯目です?」
高橋はその女性を連れてきたらしい常連に目をやりながら、女性に尋ねた。
「これが一杯目……」ほぼ空のグラスを指さす。グレープフルーツベースの、度数は弱いやつだ。
「お酒、強いのはダメですか」
しおらしくしている女性に、そう投げかける。「ちょっと……」と答えが返ってくる。

「二杯目、シンガポール・スリングか、バレンシアか、スプモーニあたり作りましょうか」
「どんなのですか?」
高橋は後ろ手でコルクのカタログブックを抜き、写真と短い説明を見せた。自分が作れる数少ないカクテルには、シールが貼ってある。
「物足りなくはないけど飲みやすい、今日のお洋服と似た雰囲気の仕上がりです」

「じゃあこれで」朱赤にストーンのジェルネイルが、シンガポール・スリングの写真を指さす。
「かしこまりました」
女性客にゆっくりとそう言って、高橋は戸棚からスリムなグラスをすべるように取り、流れる美しさでカクテルを作っていく。

グラスの戸棚をさりげなくチェックした。案の定だ。手前2列だけ拭きなおすべく、使用頻度の高いものを2種類ずつ、カウンターに並べる。ツカサが黙って目を見開いた。高橋は優しく微笑んだ。客のホスピタリティにとことん寄り添っている最中に、それ以外の情報は出さない、読ませない。

――ごめんなさい
――ドンマイ明日頼む
カウンターでは唇の動きだけで会話が成り立つことがある。

「照ちゃんドキドキしちゃうよー、ほら、ガン見してんじゃんコイツ」と、初めての女性客を連れてきた客が話す。

「うれしいです」シンガポールスリングを差し出し、一杯目のグラスを下げ、連れの常連に「葉巻ですかナッツですか、カミカゼいきますか」と聞いた。
「えっ、覚えてるの」
「覚えてます」高橋は笑う。八重歯がのぞく。
「じゃカミカゼと、あれがいいな、鶏のねぎまみれ」
「かしこまりました」言うなり高橋は、左手でフライパンを、右手でグラスを出した。仕込んだ鶏を冷蔵庫から出し、菜箸でフライパンにうつし、フタをして徐々に熱しはじめた。

ライムを洗い、ナイフで切ってぐいっと絞る。鮮烈な青い柑橘のかおりが周囲をめざめさせる。絞ってはかる。十二ミリ。もうちょい。二十ミリ。
カウンターで扱うライムには、魔法のようなものが閉じ込められている気がする。とことん掃除をしたときと同じさわやかな魔法が。

「ツカサ、シェーカー」
「はい」

ばん、と床に人の頭をバウンドさせた四郎のまっすぐなまなざしが、急に思い出された。
――手荒く見えないようにしている  ……有馬先生の声。
仕事は一発でキレイに仕留めること、それを四郎に見せてもらった気がする。自分の道場はこのカウンター。

ツカサが斜めに腕を伸ばしてシェーカーを持つそこへ、高橋はちょっとした距離から二十ミリのフレッシュライムジュース、二十ミリのホワイトキュラソー、二十ミリのスカイウォッカをきれいな軌道で入れ、グラスに添えるライムを切り取ってカッティングボードの横に置いた。
飲物の手が離れたので、高橋はグラスを手早く拭いて、次々と戸棚にしまう。ふっかりとしたグラス用のクロスが気持ちいい。

ツカサはシェーカーにフタをして、長い指の手のひらを添えながら軽くシェイクする。丸氷のグラスに移し、切ったライムを添える。
「どうぞ」

「息ぴったりだよね二人。……できてんの?」
「いいえー。僕は仕事が恋人、絵が恋人」
こんどは、じゃんじゃか強火で片栗粉まみれの鶏をカリッカリに焼きあげ、刻みねぎとあんかけを加えながら、高橋が言う。

「言ってらあ!絵が恋人じゃー、二次元だよ」
「しかもじいさんゆずりの風景画が恋人、雅峰(がほう)さんだいぶイタい」高橋が軽口をたたく。

横の客が「今夜高橋君だよー」と、別の常連に電話してくれている。SNSに上げてくれる客も。
笑いを取り客にサーブしていく高橋は、1ヶ月ぶりのカウンターなので、ゆっくりめにスピードをあげる。少しずつ曲芸的なカクテルシェイクにツカサを巻き込み、エンジンがあったまってきたところでショーっぽいパフォーマンスをちらっと見せる。

奥の康三郎は、ぼんやり眺めていた。
つられてのツカサの動きが、いつもと全く違う。……いや、本来落ち着きながらもこの動き方であるべきところを、自分がのろくさとさせてしまったのだ……


次の段:ダレてズルした自分が悪かったってこと。--秋の月、風の夜(24)へ
前の段:Café Brewオーナー、丁寧さと品質。ーー秋の月、風の夜(22) へ

マガジン:小説「秋の月、風の夜」
もくろみ・目次・登場人物紹介



「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!