人事の組み立て(海老原嗣生, 2021)



「ジョブ型」の誤解

私が労働社会学を離れた理由として、私が研究することの比較優位がないな、と思ったことがあります。私は労働問題と戦ってきた弁護士でもないし、企業で人事に関わってきた確かな経験があるわけでもありません。
しかし専門を変えた今でも、雇用や労働に関する文献は好きなので読んでいます。今日紹介したいのは、雇用ジャーナリストの海老原嗣生氏の最近の著書です。氏はリクルートでキャリアを積み、10年ほど前から雇用ジャーナリズムの世界で活躍しています。

10年ほど前に労働法学者の濱口桂一郎氏が提起したジョブ型(欧米)、メンバーシップ型(日本)という捉え方は、関係者の間ではかなり定着してきた感がありますが、未だに多くの人が誤解をしたまま使っています。この本はまずここを是正します。詳しい方なら、以下の文章が全くの誤りであることは分るでしょう。

「『ジョブ型雇用』とは、従業員に対してジョブ・ディスクリプション(職務記述書)により職務内容を明確に定義し、労働時間でなく成果で評価する雇用システムだ」

欧米のジョブ・ディスクリプションはその内実はあいまいで、「現場で起きる問題に適宜対処すること」などということが普通に書かれています。また評価に関しては、そもそもなされません。ジョブワーカーは、特定のポストに就くことを契約し、その仕事を契約の限り全うするだけです。
欧米型の雇用システムは以下のように捉え直されるべきです(255)。

1.ポストベースの人事
2.ポストは定数
3.まず組織末端まで経営計画でポスト数が決まる
4.企業に人事権はない

決定的に異なるのは、ポストに値札を貼る欧米と、人に値札を貼る日本、という違いです。そのうえで、欧米ではポストに人を張り付け、日本では人をポストに張り付ける。前者はポストに限りがあるけれど、後者はポストなんていくらでも作れる。だから整理解雇への考え方も異なってくるのですね。これらの帰結として、日本と欧米では採用方法など様々な違いが出てくるのです。

欧米における「二つの世界」

その上で認識すべきは、欧米(特に欧州)には「二つの世界」が存在することです。一つは、トップエリートの世界、米国ではLP、フランスではカードルなどと呼ばれます。この世界は、日本型のキャリアを歩みます。新卒で入社し、幹部候補生として様々な部署を経験する。長時間労働や上司の無理強いにも耐えながら出世していく。日本と違うのは、欧米ではこの層が極端に少ないことです。偏差値70以上の大学の上位数%だけがこのプログラムに乗れます。

多くのレギュラーワーカーは、関連学位をとる、インターンをするなどして自分で専門性を磨いて、自分の専門にあったポストをリサーチして就職します。ポストで契約しているので、基本的に異動や昇進はありません。やる気のある人は大学院へ行ったり、資格を取ったりしてよりよいポストを目指します。しかしそのポストが空いてなければ社内での昇進は難しいです。だから他の会社でよりよいポストを探すか、ワークライフバランスを重視して今のポストを続けるかという話になるのです。こうした状況だと、今の上司の無理を聞いても自分のキャリアには大して特にならないですね。というか、企業に人事権はないわけですから、あまり気にしても仕方がない。サボったから左遷されるわけもなければ、給料を下げられるわけでもない。だから長時間労働にはなりにくいのです。
このように、ポストに縛られた欧州のレギュラーワーカーを、フランス人は「籠の鳥」などといって自虐しています。誤解してはいけないのですが、彼らは特段不安定というわけではないです。特に大陸系の欧州では、労働法により身分が手厚く守られています。

一方で日本ではどうでしょうか。日本は、人に値札が付きます。ポストなんて二の次です。人の能力に応じてポストが作れてしまいます(こうすると無限に人件費が増えていくのですが、そのしわ寄せを食らっていたのが経営層の薄給と非正規雇用者の低賃金です)。それでいて、「誰もが出世を夢見て階段をのぼることができる」雇用システムなのです。「総合職」「一般職」「事務職」などの違いはありますが、大企業になると「総合職」採用が1000人を超えることもあるところが欧米との決定的な違いですね。
ポストによって人の身分が区切られていないから、人を成長させ、それに応じて給料を決めていくことができるのですね。だから、末端従業員まで「能力評価」の対象になるのです。「誰もが出世を夢見て階段をのぼることができる」雇用システムは、一方でしんどいことでもあります。海老原氏は「階段をのぼらされる」と強調してもいます。このひずみから、「サボったら左遷される」という恐怖を抱き、顧客や上司の無理を聞いたりして長時間労働が発生し、「教育」という名の下でパワハラが横行したりするのです。

ワークライフバランスとの関係

以上を踏まえ、社会学者として気になるのは家庭との両立、ワークライフバランス、少子化対策との関係です。

ここまで読んでいただいた方はお気づきかもしれませんが、WLBを考えると、明らかに欧州のジョブワーカーに利があります。彼らは出世を目指して階段を上っていない(そもそも階段などない)からです。もちろんホワイトカラーの場合、社会が変化していく中で状況に応じてスキルを磨く必要はありますが、だからといって出世するわけでも、(大きく)給料が増えるわけでもありません。つまり、「偉くなる」わけではないのです。だから、がんばる必要はないわけですね。「偉くなりたい」なら、新しく資格や学位をとって空いているポストに応募する必要があるのでした。
一方で日本は、多くの人が出世競争のリングに上がっています。評価もされます。だから顧客や上司の無理を聞いて残業する必要もありますし、頑張る必要があります。誰しも「偉くなる」チャンスがあるのですから。

この問題に対する海老原氏の分析は、あまりにも現実的です。
第一に、トップエリートは欧米でもWLBなどない、ということです。欧米のトップエリートも日本と同様、家庭を選んで出世コースを外れるか、ベビーシッターなど外部資源を使うかくらいの選択肢しかありません。
第二に、日本の企業でも「階段を下りる選択肢」を与えるべきだということです。階段を下りた場合、年収600万円くらいで似たような仕事を淡々と続ける、それ以上「偉く」ならない。そしてWLBを実現する。「もちろん、夫婦どちらかが階段を下りずに残れたならば、男女関係なく、下りた方が家事育児を主に引き受けるべきですね」(p242)これは完全にそうなのですが、社会学者としては、男女関係なく、というところに規範的な障壁があり、研究のポイントがあるように思います。

以上を踏まえると、役員になりたい、でも家庭のこともちゃんとしたい、という家族は、ベビーシッターを使うしかありません。他の選択肢は全て「ワークライフチョイス」になっていますね。


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