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【小品】将来について考えるということ

目標があって、そこから今取るべき行動が決まる。という考え方は、長い間、えらくなる奴のスタンダードとしてみなされてきたように思う。おれ自身はそれ、すなわち成功めいたもの、を実現したことが無いからよくわからないし、世の中の成功者とみなされている人たちも本当にそれをやったのかどうかは、はなはだ怪しいところだとも思うが、ともかく、そういう話はどこかしこで出るような話なのである。

似たような話が「20代のうちにやっておきたい○○」的なものだ。確かに、おれぐらいの歳でも、もうちょっとこういうことやっときゃよかったな、みたいなことを思うことはなくはない。だからと言って、自分がやっときゃよかったと思ったことを人に勧めても大して意味ないんじゃないかとおれは思うのだが、まあそういう話をするやつはいるし、結局そういう本とかが店頭に並ぶということは、それなりに需要もあるのだろう。

スタート地点を明かしてしまうとみもふたもないが、おれはそういうのがあまり好きじゃない。好きじゃないというか、あまり信じていない。今日はそういう話をしようと思う。

コンサルタントがあやつる怪しげなフレームワークよろしく、大体その手のポピュラーになる理論というのは、過去の観察からきていて。実際観察してみると、過去の事例にはそれなりに当てはまるからウケるのだろうと思う。ただ、間違ってはいけないのは、だから、それは未来でもそうなんだ、ということは正しくも間違ってもない。不確実なのだ。つまりおれには、わからない。

それに加えて、どうせ過去から学ぶのであれば踏まえおくべきだとおれが思うシンプルなことがあって、それは、過去○年で世の中がどれだけ変わったかを考えて欲しい、ということだ。〇の中には5とか10とか好きな数字を入れていいが、20ぐらいがわかりやすくていい。

2000年がどんな時代だったかというと、アイモードで着メロが流行していた。イチローはようやくメジャーに行った。PSは2で、パラパラとか踊っていた。オンライン書店はbk1。そして、グーグルはようやく日本語検索に対応し、アマゾンがようやく日本に進出した。ブロードバンドはまだ一部にしかなく、みんなダイヤルして回線を接続していた。

20代の人は当時のことをあまりよく覚えていないかもしれないが、おじさんのおれはわかる。正直めちゃくちゃ昔で、今と世の中は全然違う。

今おまえが、20代で2000年に生きているとする。そんなおまえが、つまらない40代にならないために、今しておくべきことを学ぶとしよう。さあ、20年たった。おまえが学んだことのどれほどが役に立つだろう?

これが簡単なエクササイズだ。

次に踏まえておくべきことは、そういった変化はどんどん加速していく、ということだ。過去20年で起きたようなことは、次の10年で起こると思ってまず間違いない。人間はそうそうかわらないが、テクノロジー、特に情報は違う。情報を取り扱う分野はアクセスコストが極端に低下し、大体のことは簡単に調べられる。情報を発信するメディアも、多数用意されていて、機材もめちゃくちゃ安くなった。

技術的にさらなる大きな飛躍がいつくるのかはわからないが、こういった情報の流通量の急速な拡大は、人々に大きな影響を与えるとおれは思う。具体的には、価値観がどんどん変わっていく、とおれはみている。そうなると、どうなるかというと簡単なことで、今すばらしいと思っていることは、10年もたたないうちに大してすばらしくなくなるということだ。

だから、おまえがいま10年後にこうなりたい、と思っていても、10年後のおまえがそうなりたい可能性は低い、と言わざるを得ない。20年後となると、なおさらだ。

さらに付け加えるなら、技術の進歩により人間の寿命がどんどん延びていることはデータが示す通りだ。おまえは、どんどん不確実性を増していく時代で、どんどん長い人生を生きなくてはならなくなる。まあ、別に生きなくてもいいが、それを言い出すとなおさら将来のことを考える必要はなくなるからそこは結論に影響しない。

これについておれは、断っておくと抽象的なので読み飛ばしてもらって構わないが、こうイメージしている。将来の自分の姿を定める、ヴイジョンを描くということは、いわばXY平面上のベクトルで、X軸は時間で、Y軸はおまえの価値だ。たいていのやつは矢印を右上方向に向ける。

しかし、このXY平面はおそろしいやつで、原点が移動したり、座標のプラスマイナスがひっくり返ったり、連続する数字ですらなくなったりする可能性がある化け物なのだ。しかし、平面上でくらす我々は、原点の移動になかなか気づけない。これはとても恐ろしいことだとおれは思う。(わからなくてもいい)

そんな世界でおれが重要だと思うことは、自分が存在する位置、目指す位置を点や矢印で示したりしない、ということだ。おまえは、おまえが存在し得る確率分布を広げることを重視したほうが良い。ベクトルよりも雲や霧のようの姿で将来をイメージするのだ。そしてそれは右上を目指している必要もない。

これが、ビジネスの話になると、多くの経営者はまだまだ古典物理を信仰しているような状態で、すぐに方向性とかヴイジョンの話をしたがる。リーダーがみんなの進む方向を決めて旗を振る。モチベーションコントロール目的で、そういう道具を用いることは、場合によっては悪くないと思うが、本当に重要なことを考えるときに、それが矢印に沿っているか否かという考え方は採るべきではないとおれは思う。

常に、自分が知らないうちに違う平面上に存在するようになってないかについて注意を払わないといけない。そのために、矢印は邪魔なのだ。どこから来たかに気をとられてしまうからである。

品のいいコンサルタントに限って、ソフィスティケイトされたフレームワークをなかなか捨てられない。ゆえに彼らはすぐにヴイジョンがどうとか言う話をしてしまうのだが、おれに言わせると、世の中を舐めてるとしか思えない。いい戦略を立てられなかったから失敗したのだとか言っているうちはどうにもならない。結局なにも考えていないのと同じだ。

おれはそんなことをストリートから思う。

ちなみに、言っておくと、こういうことを言っているのは当然おれだけではない。世の中には、ストリート・スマートという便利な言葉すらある。おれは最近まで知らなかったし、なんか人によって多少イメージが違うような気もしなくもないが、ストリートに出てみること、混とんとしたストリートで生き抜くために確かな仲間を作ること、おれはヴイジョンとか考えてる暇があったら、そういうことをしたほうがいいと思う。


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