命は選べる

以前読んだ本が衝撃だった。

ある夫婦に子供ができ、医師の勧めで羊水検診を行った。高齢出産であることと、妊婦健診でちょっとした異常が見つかったからだ。

羊水検査とは簡単にいえばお腹の赤ちゃんの染色体に異常がないかを調べる検査だ。夫婦はそれを受けることにした。悩んでいるよりは、検査をすれば安心して出産を迎えられると考えたからだ。

結果は陰性。特に問題がないということでそのまま出生することになった。

しかしそれは誤診だった。実際に生まれてきた子供はダウン症だったからだ。また合併症(複数の病気を持っていること)により、生まれてきた子供(天聖君)は約3ヶ月でその命を終える。

母親はその後、検診を行った医師を訴えた。その訴状の一部が以下だ。

被告医院の債務不履行がなければ、天聖が死の苦痛を味わうことなどありえなかったことは明白である。したがって、乳児としての死亡慰謝料として、天聖には、最低でも二〇〇〇万相当の精神的苦痛が生じたと言うべきである。

衝撃だった。生まれなければ死の苦痛がなかった。これは大きな波紋を呼ぶ。この後、夫婦、特に母への非難の声があとを絶たなかったという。子の誕生を親が否定しているように捉えられたからだ。

しかし、本書は説く。すでにかなりの確率で「命は選べる」と。もちろん全てがわかる訳ではないが、現在出生前の健診で障害を持っているかどうかはある程度でわかるようになってきている。五体満足か、ダウン症かなどだ。

先日中国で遺伝子操作された子供が生まれたと話題になっていた。もちろん医学の発展のためには避けられないかもしれないし、実現されるのはある意味時間の問題であったのだろう。しかしこれが本当なら、生まれた子供は何を思って生きていくのだろう。生んだ親は、研究にかかわった研究者は、何をその子に期待するのだろう。

最後に著者は述べていた

これから胎児の遺伝子検査が進み、望めば生まれる前に多くのことが判明する社会になるだろう。その時にどんな子を誕生させ、どんな子を殺すのか。

他人事では済まされない問題が、すぐそこまで迫っている。

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