教育の本質は「自走の仕方を教えること」

自分はすぐに答えを求めてしまう癖がある.癖というとなんだ無責任な感じがして好きではないのだが,他にいい表現も思いつかないのでこう表現する.

普段わからないことがあると,どうすればいいですかと尋ねる.答えを聞く.実践する.わからないことがある.聞く.実践する.これを何度も繰り返すと,少し考えればわかったであろうことも聞いてしまう.

何でも聞いていいよとは言っても相手は人間だ.しつこければ嫌な顔もするし,それを見るとこんなこと聞いたら嫌な顔するだろうなと思って遠慮し始める.しかしそういうものに限って本質的で,聞いたらすぐに解決することだったりする.実際に聞いている時は本当にわからないことだし,助けて欲しいことなのだけど.

なんでそんなことになるかというと,「答え」しか聞いていないのだ.幸い自分の周りには大変優秀な人がいて,聞けばすぐに返ってくる.しかもなぜその答えが正しいかも教えてくれる.聞いた時はとても納得するが,それは納得している気がするなのだ.それは後で同じような問題に当たった時に初めて,その状況であったことを理解する.

母がよく私に機械類の扱いを聞いてくる.私にとっては自明のことだが,母にとってはそうでないらしい.なぜそうすればいいかも話すがそれを理解するすことはない.なんとなく自分を見ているようで苛立ち,解答もぶっきらぼうになる.結局聞いているのは解答だけなので,また不毛なループが始まる.これどうすればいいの,と.

多分母も本当にわからないから聞いているのだろう.助けて欲しくてたまらないのであろう.私は助けるが,そのループが消えることはない.なぜなら「自走の仕方がわかっていない」からだ.

困った時はこうする.OOを疑って.OOを調べる.調べた結果OOのように考え,予測し,実践する.ダメならまた1から戻って調べる.という自走が出来ないというよりは「わからない」からだ.

これは教えるのはすごくめんどくさい.なぜなら経験則から導かれる,ほぼ意識していないような思考回路を言語化しなければならないからだ.

それでもこれを学ばなければ,人は自走できない.幼児教育,英才教育,リカレント教育,ゆとり教育.世の中には色々な教育法があるけれど,結局必要なのは困った時,知りたいと思った時に自分で学習することができる「自走の仕方」を教えてあげることだと思う.

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