昨日と今日の間
朝、目が覚める前まで僕は、
夢の中でいっぱいの光を浴びていたはずなのに。
目が覚めてカーテンを開けると、
眩しくてびっくりした。
夢の中の僕から、現実の僕へ意識が移る時、
なにか大切なことが伝わるか伝わらないかの狭間みたいなものがある気がしている。
この感覚をもつ主語は夢の中の僕。
でも、それを捉えているのは現実の僕だ。
これを書いている僕はあくまで受け取り手だから、
正しいのか定かでは無いけど、
大切なこととは、例えば、
夢の中で泣いていた人は誰だったかとか、
夢の中でしていた忘れ物が何だったとか、
夢の中で罷り通ってたルールって何だったかとか。
そんなこと。だと思う。
なぜか夢の中で、
ありがとうとごめんなさいと伝えている時の記憶は、
僕は特に鮮明に起きたあとも残っていることが多い。
でも、誰に伝えていたのかは何一つ思い出せない。
そして、これが知りたくてまた寝てみることが多い。
大事なことを知りに行くためにまた見ようとする。
(二度寝の言い訳だ。)
眠りから徐々に覚めていき、
初めに話したあの“狭間”みたいなとき、
あの時がいちばん頭の中に言葉が溢れている。
…。気がしている。
起きてから僕らがボーッとしてしまうのは、
その言葉の量に耐えられないから。
何も考えていないんじゃなくて、頭の中に何かがありすぎて、それに対してどうしようもできなくなっているだけだ。
現実でちゃんと起きている時の情報の方がよっぽど落ち着いて飲み込める。
それもそのはず睡眠は記憶の整理だから、
脳みそに散らかってた言葉たちが、
ギュッとタンスの中へ押し込められて中はぎゅうぎゅうだ。
夢の中で頑張った僕はその収納作業をしただけでもうヘトヘトで早く眠りにつきたいから、
とってもテキトーにこれから目覚める方の僕に収納した内容を伝える。
だから支離滅裂になっちゃって読み取れないけど、
起きた僕はなにか大事なことが伝えられていることだけは分かる。
“狭間”で彼が僕に伝えようとした置き手紙の字を解読することはたぶんできない。だけど、その筆圧がとっても濃いところがある。そんな感じ。
分からない、分からない、
そう思うのに少しだけわかる気がするのはきっと最終的には1人の僕だから。
だから最後2人いるような僕らが繋がって、
伝え合いたかった大切なことが全部が分かるのは、
たぶん死んだ時なんだろうと思ったりもしてる。
そしてもしそこが光のある世界なら、
カーテンを一緒に開けて、光を一緒に浴びて、
一緒に眩しいねって思えるはず———
今起きてる僕は今日こうやって不思議な感覚を言葉にしてみたからさ、
寝てる僕はこれが正解かどうか教えてよ。
おやすみ。今日もよろしくね。
これを書いてたら頭に流れてきた歌。
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