【中国シルクロード旅行記第⑥話】シルクロード要衝の街、甘粛省敦煌を観光
【第⑤話はこちらからご覧ください】
夜、ウルムチ南駅から寝台列車に乗る。
観光で疲れた私は、寝台ベッドでゆっくりと眠りにつこうとしていた。
「ドンドン、ドンドン。」
物を激しく叩くような大きな音が下から聞こえてくる。もう夜遅く、消灯時間はとっくに過ぎている。なんだろうかと思い、周りを見渡してみた。
私のベッドの下で、幼い子どもたちが遊んでいる。いつもとは違う列車の中で一夜を過ごすということで、彼らは興奮しているのだろう。同乗していた親や、乗務員が静かになるように注意しようとしても、一向に静かにならない。
解放寝台で、プライバシーが確保されないのは、乗客との交流ができるという長所がある一方で、自分の快適な空間を阻害されるデメリットも併存している。
しかし、ここは異国の地、中国。
「このような不愉快な時間も楽しもう。」
このように気持ちを切り替えて乗り過ごすことにした。
良く寝ることができずに朝を迎えた。身体に疲労を感じながら、寝台で横になってウトウトしている。
ツアーのガイドさんが大きな声で、
「みなさ~ん、降りますよ~!」
と参加者全員に声をかけている。それを聞いた私は、身支度を急ピッチで整え、慌てて列車がら降りた。
あたり一面何もない場所になる小さな駅。駅名標を見ると「柳園」駅と書いてある。
目的地は甘粛(かんしゅく)省敦煌(とんこう)市。この駅からバスに乗り換える。
バスは、ゴビ砂漠の中を砂を巻き上げながら進んでいく。灼熱の暑さをしのぐために、空調をかけるが、砂が空調に舞い込み、車内全体が砂っぽい空気になる。
2時間ほどバスに揺られ、目的地の敦煌に到着した。ここもシルクロードの重要拠点の一つであり、中国から西域へ入る玄関口だ。ここでは世界遺産の莫高窟と、砂漠の中にそびえる砂山、鳴沙山を訪れる。
まずは莫高窟へ向かう。
莫高窟は、世界遺産に登録されている有数の仏教遺跡である。4世紀ごろから14世紀の元の時代まで掘り続けられた。400を超える石窟と、色鮮やかな仏教の壁画が保存されている。
高校で世界史を学んだ人ならば、敦煌という地名はもちろんのこと、莫高窟、龍門石窟、雲崗石窟は中国の三大仏教石窟として覚えた人も多いであろう。
残念ながら、石窟内は写真撮影が禁止されているので、洞窟内の仏像や壁画を撮ることはできなかった。ガイドさんに従って、石窟の中に入って説明を聞く。説明を理解することはできなかったが、石窟の中には当時の仏像や壁画を見ることができた。昔に作られたものなので、劣化や色あせは感じたが、見学するには十分許容できる状態であった。
この建造物。敦煌の莫高窟が世界史の教科書で紹介されていたときに載っていた写真として私は記憶している。ごつごつとして中央アジアの雰囲気を感じさせられる岩肌に、中国らしい建築がなされている。中国と西域の境目を印象付ける建造物だ。
教科書に載っていた歴史ある場所に、実際に訪れて本物を見物する。「あぁ、これか!」と実物を見て感動するあの気持ちは、やはり快感だ。
次に、鳴沙山を訪れる。
中国有数の砂山であり、ここら一体の砂漠地帯にそびえている。鳴沙山では
・歩いて砂山を登る
・ラクダに乗る
この2つの選択肢があり、参加者は各自好きな方を選ぶことができた。
私はせっかくなので、シルクロードをより体感するためにラクダに乗ることにした。
ラクダさんに挨拶をし、背中にまたがる。先導の人の合図で、ラクダさんがゆっくりと起き上がる。身体がスーッと上に持ち上げられたような感覚を覚える。
ラクダさんはゆっくりと前に進んでいく。いにしえの時代、シルクロードで東西に行き来していた旅人は、長い距離をラクダさんに乗って移動していたのかなぁ。
昔の旅人や行商の人を
想像しながら、砂漠の景色を眺めるばかりであった。
ラクダに乗り終わった後、近くに遇った砂の山に、参加者みんなで登ることにした。
サラサラとした細かい砂が靴の中に入ってくる感覚を感じながら、無我夢中になって山のてっぺんまでは這いつくばって登る。
てっぺんに到達した後、あたりを眺めると、砂漠が一面に広がっているのが見える。
生まれて初めて見た砂漠。「広いなぁ~」とただ感心するばかりだった。
一通り観光を終えた後は、敦煌市内の繁華街でご飯を食べる。
出てきた料理は、唐辛子、ニンニクなどの香辛料が容赦なく浸かられている。あまりにも刺激的な味つけで、胃が燃えるような感覚を覚える。
エキゾチックな料理をみんなで食べながら、会話が弾み、非日常の雰囲気を味わう。本当に幸せな時間だった。
ホテルに到着し、就寝の準備をする。翌日は午前中に敦煌駅に向かい、昔の中国の古都、西安まで列車で向かう。丸一日の列車の旅。翌日に備えて身体を休めることとした。
【第⑦話に続く】
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