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銅鐸が平和だったかもしれない話

お金は人々の信頼によって成立している

この話を小学生にしたときは理解してもらえなかった。しかし私は時々ゾッとするのだ。一万円札を一枚作るのにかかる費用はたったの19円。我々はたった19円の価値しかない紙切れに1万円の価値を付与しているのだ。お金という概念を知らない人からしたら我々は大馬鹿者だ。

例えば、Aさんがお店を経営しているとする。一万円の価値がある品物を売って、一万円札をもらう。これはごく当然のやりとりに思えるが、Aさんは実質1万円の物を19円の価値しかない紙切れと交換したことになる。とんだ大損である。

ここで、冒頭の信頼の話に戻る。Aさんが19円の紙切れと一万円の品物を交換したのは、次にその19円の紙切れを、誰かが一万円の品物と交換してくれるという信頼があるからである。
もし、一万円札を持って店にいき、支払おうとするときに、「こんな紙切れは要らねえ」なんて言われてしまっては元も子もない。「こんな紙切れは要らねえ」と言われない、という信頼があるから一万円札は一万円と等価値なのだ。

もしこの世のみんなが一斉に冷静になって、「なんで俺らはこんな紙切れを大事に貯めているんだ?」なんて言い始めたら一万円札なんてただの紙切れに成り下がる。

古来、お金は紙幣ではなく、貝などの現物だった。それが、古代の中国などで貨幣が作られるようになり、流通した。戦国時代の青銅貨幣が有名であろう。日本でも奈良時代には和同開珎などの硬貨が作られるようになった。中世には中国から輸入した硬貨(宋銭)が使用され、江戸時代には金や銀で作られた大判・小判が流通した。各藩でも、藩札と呼ばれる独自の紙幣が発行された。明治時代になると政府により紙幣が発行され、従来の両に代わり、円が採用された。
そして、我々の生きる21世紀になると急速に電子マネーやクレジットカードといった、いわゆるキャッシュレス決済が浸透した。現在、支払いに占めるキャッシュレスの割合は約四割に上る。政府は民間企業を支援してキャッシュレスの割合を高め将来的には完全キャッシュレスな社会を目指している。

「お金」というものは、そもそも売買の取引における仲介物だった。物々交換では、自分の欲しいものを相手が持っていないということもあった。そのため、一定の価値が保障される貝や硬貨にその仲介を担わせたのである。いわば、道具としてのお金である。
ところが、近代に入り、お金はほぼ概念的な存在となってしまった。市場主義経済の登場は経済の構造を大きく作り変えた。お金は単なる道具としての役割から、見えない形で「経済」というものを動かすビッグマターとなった。それまでの金や銀といった、価値が変動しにくい仲介道具と異なり、単なる紙切れは、大きく価値が変動するようになった。

その顕著な例が第一次世界大戦後にドイツで起きたハイパーインフレだろう。貨幣の価値が1000000000000分の1以下に下落した。0の数を丁寧に数えると、一兆だ。いわば、数年前まで百円だったパンが、百兆円で売られているといった始末。このとき、紙幣は紙切れ以下の価値しかなかった。一万円札は、1×10の-8乗円の価値しかないことになる。0,00000001円は、皆さんが今もっている紙屑より安いことは明らかだ。教科書でこの写真を目にしたことがある方も多いのではないだろうか。

そして将来、仮にこのようなハイパーインフレが生じたとしても、この写真のような光景は見られないだろう。なぜなら、現金(キャッシュ)はその頃には過去の遺物だろうから

将来的にお金は形をなくし、完全に概念化するだろう
夢、平和、秩序、信頼、愛。そしてここに金が列せられる。
将来の子供は生まれた時から現金を見たことがないだろう。
将来の子供が、「へえ、お金って昔は紙だったんだ〜」と言う時代がくる。
我々が「へえ、昔の人ってみんな裸だったんだ〜」っていうのと同じテンションで。

人類の歴史上で、現物が形を失い、完全に概念化されたものって存在するのかな。

ない気がするが、古代人の胸のうちまではわからない。平和という言葉は今や完全に概念だが、昔は形があったのかな、なんて考えてみる。

「平和」

今でも曖昧な言葉である。戦争がなければ平和なのか、みんなが笑って暮らしていれば平和なのか。

古来の日本では、もちろん日本だけではないが、祭祀というものが重要視されていた。銅鐸などの青銅器はその時に使用された遺物である。今は銅鐸は使われない。ひょっとしたら、銅鐸は平和だったのかもしれないな、なんて考える。銅鐸は平和っていう名前で呼ばれていて、その後銅鐸は形をなくして平和という言葉だけが残って…いや、ないか。なんか、銅鐸=平和なら、平和だな、と思う。我々が必死に守ってきた平和は、実はただの銅鐸なのかもしれない。

なーんだ、平和って所詮銅鐸なのか。平和とは、戦争が起きないことでもなく、みんなが笑って暮らせることでもなく、銅鐸である。もしそうなら、肩の荷が少し降りた気分になる。

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