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濁った音が僕を異世界につれていってくれる

#はじめてのインターネット

中学校2年生でCPU433MHzのノートパソコンを買った

僕のインターネットとの出会いは中学三年生(2000年)だった。当時、だんだんとそういうものが流行りだしていることには気づいていて、学校でもパソコン研修なんかがあって、タイピングのトレーニングソフトだったり、Microsoft Officeの使い方みたいなのを授業で少しだけやってもらっていた。

そうすると自分の家にもパソコンが欲しいなと思い、親に相談したが「いらない」の一点張りだったので、仕方なく自分の貯金をはたいて買うことにした。

すると、親父が「会社の人からここは安いという店を教えてもらったぞ」と言って、大阪の日本橋のほうの怪しげなパソコンショップに連れていかれた。そこで買ったのは、富士通のノートパソコン FMV-BIBLO。記憶が正しければ、CPUはCeleronで433Mhzだったと思う。HDDは9GB、メモリは極小だったはずだ。それでも25万円もして、中学生2年生の僕には相当大きい買い物だった。正直、今このスペックを見れば、スマホよりもずっとショボいレベルだろう。

インターネットのない世界でメモ帳からWebを学ぶ

最初はインターネット回線も家にはないため、ただただタイピングソフトの練習をしていた。文字はサクサクと書けるようになった。その次に目を付けたのはメモ帳だ。

当時僕は陸上部に属していたのだが、なぜかHTMLタグ辞典が部室に置かれていて埃をかぶっていた。「これ、誰のなんすか?」と聞いたら、部長が「俺のだけど、いらないんだよな」という。「じゃあもらっちゃっていいっすか」「おういいよ」 そうして、僕はその分厚い青い本を家に持って帰った。(このアンク著の分厚い本だ)

ここからはHTMLというものをメモ帳の上で触る日々になった。

メモ帳で書けば、ブラウザに反映されて絵になる。これは面白い。通信回線も要らない。ただ、リンクを張ればリンクを飛べる。これが僕にとって、はじめての、自分の中の小さい小さいインターネットの世界だった。

ライブドアを知り、僕の小さな部屋が世界につながった

そうこうしていればやはり自分のHTMLで書くサイトを、世の中に出したくなるのが人間だ。インターネットにつなぎたい。つなぎたい。つなぎたい。

親はその必要性を感じていないので、まったく支援が得られない。中2の僕は一生懸命インターネットにできるだけ安くつなぐ方法を探してきた。そこで出会ったのが、無料プロバイダのライブドアだった。(その後にあれほど有名な会社になるとは思いもしなかった)

画面の上部に一本の広告のバーが常時表示されるが、プロバイダの費用はゼロ。アクセスポイントも僕の家と同じ市外局番である。3分10円の電話代だけだ。これなら安い。

濁音が僕をネットの向こうの異世界に連れて行ってくれる

むちゃくちゃ長い電話線を購入し、自分の部屋まで敷く。そして、夜に家族が寝静まったころに、パソコンから電話を掛ける。あの独特のぴーごごごごごお、、、、という音を聞く。その濁った音が、ピタッと止まる。僕の小さな部屋から、世界につながる。インターネットの世界が開けた瞬間だった。

当時は主にジオシティーズでサイトを作ったり、ヤフーチャットで同じ趣味の人と語り合ったりしていた。

そこで出会う人たちは性別や年齢もバラバラ(性別が正しいかも知らない)で、近くの人も遠くの人もいたので、日常に知りあうようなことのない人ばかりだった。夜22時頃にいくといつものメンバーがいたりいなかったりで、いると嬉しかったし、新しい人がくれば仲間が増えるかもしれないと思って、楽しい時間を過ごせるといいなと思って、積極的に話しかけたりしていた。

インターネットにつなぐとき、その時は漫画のように、あの濁流のような独特の音が僕を広い広い異世界に連れていくように感じる。そして、その音がすっと静かになった時、僕は異世界にたどり着いている。


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