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働くとは何か。キャリアとは何か。

人は常に生産活動を通じて、経済・社会を構築しています。そして、これまでの人の活動の上に、さらに新たな活動を積み上げ、これからの世代の人へと引き継いでいきます。

しかし、これはかなりマクロなものの見方であって、もう少しミクロな目線で見た時に、人々にとって働くということはどういうことなのでしょう。質問を受け、僕なりに考えてみました。

その結果、僕なりの解釈は「何かの課題を解決すること、そしてその楽しみを増やすこと」だという結論に至りました。

働くとは「何かの課題を解決すること」

まず働くこととは何なのかですが、「何かの課題を解決すること」だと思います。そして、課題を解決することで、「あースッキリした!」という自己満足だったり、「誰かの役に立った!」という社会的欲求を満たすことができるものだと思っています。

斜に構えた人に言わせれば「別にいーじゃん、そんな一生懸命に頑張んなくても。適当に楽しもうよ」なんて言われるかもしれません。けれど、文化祭をみんなでいっぱい考えてつくって成功させたり、部活に一生懸命にうちこんで大会にでて1勝でもしたら気持ちいいと思うんです。

「リア充め、爆発しろ」なんて言われるかもしれません。けど、それは別に野球部やサッカー部のようなカッコいい系の部活でなくても一緒です。ちなみに僕は剣道部だったので、人には臭い臭いと忌み嫌われる部活でしたが、やっぱりみんなで頑張るのは、つらい時もあった上で、でも全部まるっとみれば楽しかった記憶となっています。

仕事だって、文化祭や部活と同じだと考えていいと思うんです。できることが増えたら楽しいし、何かを成し遂げればうれしいんです。

どうせ何かをしてお金を稼いでご飯を食べなきゃいけないなら、楽しまなきゃ損だな、くらいに思って、「何かを解決」してみるといいと、心から思っています。

キャリアとは「面白い課題に挑戦できる仕組み」

ではキャリアとは何なのか、です。それは、その課題解決する"技"を増やし、課題解決力を増すことで、もっと次のステージの、難しいけど面白い「課題」に挑戦できる仕組みだと感じています。

それをしないなら、ずっとマサラタウンにさよならバイバイできず、ポッポとコラッタを延々やっつける仕事を続け、マサラタウンで呑んだくれるしかないでしょう。

呑んだくれていたら、楽かというと実はそうでもなくって、「あの人はこんなに活き活きしているのに…ケッ」なんて考えてしまうものです。それはそれで苦行だと思います。

しばしば自分のキャリアだったり職業技能の改善に用いられる、フレームワークなどのアカデミックな内容は、その"技"を体系化したものです。そういった体系化されたものをそのまま自分の武器にできれば効率的です。フレームワークは「わざマシン」ですね。

ただ、それができなくとも自分の成功・失敗の体験を言語化・体系化できないままに"技"にできている人も多いと思います。これはその人のキャラクターだったり、経験によって自然に覚えられるわざです。だから、きっと人によってまちまちなのです。

最初は経験の量を担保し、質に転化していく

すべては質と量です。その量を担保するために馬力も大切です。
優秀な人が1の労力で技を習得するのに対して、優秀でない人は技の習得に10の労力を掛けなければなりません。だから、馬力がいります。馬力で人より労力をかけて技を習得するのです。

一方、当たり前ですが、いつまでも馬力勝負をするのは無理です。年を取るごとに質が下がるだけで、進歩がありません。
なので、若いうちにどれだけ馬力を発揮するか、そしてひとつでも多くの技を身につけられるか、それが勝負であって、馬力勝負をいつまでもしてればそのまま若者に取って代わられるだけだと僕は思っています。

だから、僕はつらいことがあっても、それを乗り越えて、トータルで楽しいものにしたいなと思っています。それが最後、死ぬときに「楽しかった」といえることにつながると信じているから。

サポートしてくださった方のご厚意は、弊社の若手とのコミュニケーションのためのコーヒーショップ代にさせていただきます。