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1を聞いて10を知るスタイルの危うさ

1を聞いて10を知る。

デキる人の代名詞のようなものだと思う。

少し情報が入っただけで、ということはこれこれこうで、こういったことも考えられて、こういうことがリスクではあるが行動すべきですね、みたいなやつ。

事前に十分な情報収集や思考や準備があり、1つ情報が入るとどんどん前に進んでいけるような感じ。


このスタイルの思考法、やりかたについて危うさもあるなと感じたので、今回考察してみることにした。

1を聞いて10を知る、というスタイルは、仕事の業務的な部分や技術的なことでは非常にいいことだと思う。

こんなふうにやるんだよ、って教えられたら、そこから勝手に想像や考えを膨らませて勝手に正しいやり方を導いていく感じ。

上司からすれば、いわゆる手のかからない優秀な部下だったりするし、部下からすれば、1つ相談すれば知りたいこと全部の答えが返ってくる凄い上司にある。

きっと、新入社員になりたての人は上司に次やることを想像しろって言われたりするだろうし、1を聞いて10を知れればいいことばかりなような気もする。


しかし、危うさもあるのではないかと感じた。

それは1の情報の精度が低いと、違う方向に10行ってしまうことがあるのではないか、ということだ。


どういうときにそれが発生するか。

それは、人の相談や指導を行うといった、人間を扱うときだ。

この人はこういう人だ、という情報が1入ったとき、その情報だけで10想像して勝手に判断してしまうと必ずエラーが生じる。

相手からすれば、この前の行動だけで勝手にそこまで決めつけられて不快でしかないだろうし、先入観で判断し過ぎだと感じるだろう。


人を理解したり扱ったりする上では1を聞いて1を知る、ことにする姿勢が大事だと感じる。

その人がどんな人かは、本当にその人にしかわからない。


たとえ話だが、電車に乗っているとき、子どもが騒いでいたとする。

近くに父親らしき人が子どもたちを眺めているが、上の空で全く注意する様子もない。

この状況を傍目に見れば、子どもが騒いでいるのに注意しない、責任感に欠けた父親がいるように見えるだろう。


しかし、母親が亡くなった病院に電車で向かっている途中で、子どもにはそのことを伝えていないという状況、という情報が入った時、どう感じるだろうか。


急にその状況は納得できるものになるだろう。

どう子どもたちに伝えたものか、これからの生活はどうなるか、等のたくさんの考え事をしている上の空の父親の姿に見える。


このように1を知って10を知るスタイルは、人を扱う上では非常に危険だ。

自分以外の人について話すときは、このことを意識していたほうがいい。

自分以外のひとは、どんな考え方や感情、どんな状況にあるかを完全にはわからない。

そのため、勝手に判断すれば大きな誤りを生む可能性がある。


そんなことを感じたきょうこのごろ。

おしまい。

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