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「通貨の信任」とは、人の心の問題である。

財政破綻というものがなぜ起こるのか?
今日はそのことを「人間」で切ってみたいと思います。

さて、多くの経済学者や専門家たちが、
日本の財政赤字が進んでいくと、そのうち財政破綻が起こると言います。

その理由を注意深く読んでいくと
「通貨の信任がなくなるから」と言っているんですね。

財政破綻の直接の原因は「通貨の信任がなくなること」で、
財政赤字がその原因になる、と言っているわけです。

「通貨の信任」というのは、そのお金の信頼性ですね。
日本で言えば「円」を信じていいのか?ってことです。

では、通貨の信任とは何でできているのか?
ということを考えていけばいいわけです。

通貨の信任というのは、あくまでも人間がその通過を信じているか?
という問題なので、これは科学でも数学でもなくて人間の心の問題です。
敢えて言えば心理学ですね。

今、あなたの隣にいる人を信頼するか?ということと
究極的には同じことです。
信頼するにしても、信頼しないにしても、
それなりに理由というものがあるはずですね。

では、その理由はなんなのか?ということです。

人を信頼するか、しないか、という問題では、
すべてが合理性や理屈で説明できないでしょう。
顔、でも、声でもいい。
「だってそう思うから」なんてことも、十分な理由になります。
良い悪いは別として、現実的にそうですよね?

さて、通貨の信任も、これと似たところがあるはずです。
何が言いたいかというと、
通貨の信任は、数式で表すことができないものだ、ということです。

もしかすると世の中には過去のデータなどから
通貨の信任を弾き出す数式が存在するかも知れませんが、
そんなものはまったくあてにならないでしょう。

信任とは近い未来のことをどう考えるか、という人々の心に依拠していて、
それはそのときそのとき時代背景などによって大きく変わります。
それを数式で弾き出すことはできないはずですね。予測は可能でしょうが。

では通貨の暴落というのは、
いったいどういうときに起こるのか?ということです。

それはその通貨に不信感を募らせた人が、ついに行動に出た時です。
手元の通貨を売りに出す、ということですね。

しかも同じように思ったたくさんの人が、
一気にその通貨を売りに出すことで起こります。
少しでも値が落ちる前にと、大慌てで手放そうとするから、
それが原因となって値段が本当に暴落するのです。

当たり前ですね。

ヤフオクに同じものがいちどに何個も出品されたら、
安売り合戦になるに決まっています。
単に需給の問題です。

これが信任がなくなって暴落するメカニズムです。

ここで、ふたつ考えたいことがあるんですね。
ひとつは、不信の理由について。
もうひとつは、意志について。

ひとつめからいきましょう。

人が何かを信じない理由は、一体何でしょうか。
疑う理由でもいいです。

それは「周りがそう言っているから」というものが大きいですね。

先ほど見たように、通貨の暴落も、
周りが売りに出すから、とか、
周りが「円はヤバいよ」と言っているから、ということが
自分も早く手放さなくちゃ、という焦燥感を煽るわけです。

つまり「評判・噂」が人の気持ちの動向を握る鍵だというわけです。
大恐慌時代につながった銀行の取り付け騒ぎと同じメカニズムですね。
「評判」や「噂」は、根拠を持ちません。
究極的に言えば、「なんかヤバそうだよ」という言葉だけが根拠です。

でも、多くの人が「何が信頼性の根拠なのか」を知っていたら、
どうなるでしょうか。

今の財政破綻論の意見の分岐点は
「お金を刷りすぎると、通貨の信任が落ちるのか、落ちないのか」です。

主流派経済学者たちは「落ちる」と言っています。
例えばMMT派の論者たちは「落ちない」と言っています。

先ほども書いたように、信任がなくなる理由は「評判」だとすれば、
「お金を刷りすぎるとヤバいらしいよ」という言葉だけで
円の信任はなくなり、通貨の価値は下落するはずです。

けれど、実際に1100兆円の累積赤字と呼ばれるものがあり、
数えきれないほどの「専門家たち」が「破綻するぞ!」と煽っているのに
今日も円の信任が落ちていないのは、いったいなぜでしょうか?

評判によって信任が落ちるなら、
財政破綻論の学者たちほど重要な意見はないはずですよね?
彼らの意見に説得力があるなら、もう財政破綻が実現しているはずです。

そういうと、多くの人が99匹目までは嘘でも
100匹目は本当の狼かも知れない、と言いますね。
それでも、まだ、今日も狼は訪れていない。それが片側の現実です。

なぜなのか?を考えてみる価値はあるでしょう。
むしろ経済学者たちは自説の正しさの証明のために、
財政破綻を望んでいるのです。それでも起きない・・・

ということは、彼らの意見と、
現実の市場はまったく無関係に動いているということです。
では、何が信任の根拠なのか。

それは、恐らくですが、
現実は経済学者たちのいう通りではないということを、
誰もが知っているからなのだと思います。
信任の根拠は財政の健全性ではない。そうわかっているからです。

だから学者が騒いでも、何も起きないのでしょう。

もうひとつは、意志について、ですね。

人には意志がああります。
「こうする!」と決めたことを貫くということですね。

意志は合理性の反対の行動を取る場合に見られます。
ラクをしようと思ったら、こうなる、とか、
無駄を省こうと思ったら、こうなる、というのが合理性です。

しかし、意志とは、合理性とは無関係に
自分の望む状態を実現するために行動することですね。

さて、私たち日本人は、日本という島国に住んでいます。
我々の多くは日本から出て暮らしたことがなく、
日本だけで使われている日本語をしゃべり、
日本だけで使われている円という通貨を使い、
日本だけでしか通用しない生活様式の中で生きています。

そんな日本でしか生きられない我々は、
経済的合理性のために、
日本という国家の存在がなくなってしまうことを、恐らく是とはしません。

陸続きで別の国があったり、
世界中で通じる言語を話す人とは考え方が根本からちがうのは必然です。

そんな我々にとって、唯一の通貨である「円」が暴落したなら、
国家の存続を棒に振ってまで銀行の利益を守ろうとするでしょうか。
円を発行し、円の金融を生業とする日本の銀行がそれをするでしょうか?

おそらくそうはならないでしょう。
だって、日本にあるんですからね。

これ以上の暴落を抑えたければ、単に「売らない」ことです。
買い支えることです。
そういうことをせずに、
自国通貨が発行できて、外国には借金をしていない国家が、
国内の借金を理由に破綻の道を選ぶでしょうか?

冷静に考えてくださいね。

そこでは経済合理性ではない「暴落を抑え、通貨を守る」という
意志が働くはずなんですよ。
それが「通貨発行権がある」ということが意味する本質です。

だから、みんな信じているわけですよね。
どう思うでしょうか。

ここまで言っても、
やはり「外国から信任が得られなくなるはずだ」という人はいるでしょう。

でも、外国の人も、
今まで書いたすべてのメカニズムを知っていたらそうでしょうか?
つまり「信任の根拠はなんなのか?」という常識が、
破綻論の人とはちがうものだったら?ということです。

もちろん外国でも主流派経済学者たちはMMTには否定的です。
でも、やはり現実に起きている貨幣現象を説明できないでいるんですね。

しかも常識というのは時代とともに変化していくものです。
通貨の信任の根拠は、発行された通貨の量ではない。
今は、そういう常識に変わって行こうとしているのだと思います。

なぜなら、実際の現象が学説とはちがっているからで、
世の中はもうそれを実行してきているから、ですね。

おそらく、多くの経済学者たちは、今のまま財政破綻論を唱え続けます。
「天動説」を唱えた人は死ぬまで考えを変えなかったでしょうからね。
でも、「地動説」になったのです。

変わるはずがないと思っていた常識だって絶対ではないし、
だからこそ人類は進歩してきたわけです。

お金の姿も、どんどん変化しています。
今、誰もが手にとれないデジタルの数字を「お金」と信じて
取引を行っているじゃないですか。

これは金兌換制の時代の人にとっては信じられないことですよね?
「一体なにを根拠に、この数字をお金だと信じるのか?」と。

ホラ、時代は変わっているのです。変わっていくのです。

「通貨の信任とは何か?」という問いについて、
もういちど問い直すときなのだと思います。

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