見出し画像

中央大学ラクーンズはなぜ勝てないのか

ちょっと挑戦的なタイトルをつけましたが、
別に中央大学に特化した話を
しようというわけではありません。

ただ、モチーフとしてはちょうどいいと思いましたので、
ちょっとお名前を拝借した次第です。

中央大学ラクーンズとは、
中央大学のアメリカンフットボール部のことです。
今、学生アメリカンフットボールは秋のシーズンの前半を終了したところ。

関東の一部リーグであるTop8では、
全6戦(今年は残念ながら日大が参加していないため)
あるうちの4節が終了し、中央大学は1勝2敗。
ここからは明治、法政、早稲田という上位校との戦いがまっています。

今のところまだわずか2敗ですが、
対戦カードをみれば、普通に考えれば、学生日本一を決める
甲子園ボウルに出場することは難しいでしょう。

で、なぜ中央大学をわざわざ取り上げるのかといえば、
ここ数年、「もしかするといくかも」リストに名を連ねている、
かつ、「終わってみればダメだった」ということを
繰り返しているからなんですね。

ちなみに昨年はコロナの影響で変則的なリーグ編成でしたが、
メンバー的にラッキーなAブロックに入り、
唯一の上位校である早稲田との対戦次第で
勝ち上がることが予想できました。
実際、早稲田戦は17-17の同点で、タイブレークに
惜しくもよって落としましたが、
チーム力に圧倒的な差はありませんでした。

しかし、この中央大学、東京ドームで行われた
開幕戦の東大戦を落としてしまっていたんですね。
この時点で、ほぼダメになってしまったんです。

そして今年。4年生になったQBの小林選手の活躍が期待され、
やはり「もしかすると?」と誰もが思っていたでしょう。
しかし今年もやはり、開幕戦の立教戦を落としてしまいました。

大きいのは、そのあと格下と見られる慶応大にも敗れたことです。
実力伯仲の関東Top8とはいえ、2敗するとかなり可能性は薄れます。
では、なぜこうなるのか?

考えたいのはそのことです。

今年、中央大学ラクーンズは、目標を「日本一」に据えていました。
それでも、チームは勝てていません。
もちろん、活躍が期待されたWRの松岡選手の欠場など、
物理的な原因もあることと思います。

けれど私はそういう部分も含めて、
やはり、何かの別の原因があると思っています。

それは(これはあくまでも憶測ですが)、学生たち自身が、
「もしかして、いけるんじゃないか?」と
思っているような気がすることです。

そのマインドは、勝負に勝つためのマインドセットではないからです。
「もしかして、勝てるかも」というような心の持ちようは、
本当に日本一を目標にしているチームのものではありません。

どういうことか。

今のところ中央大学は甲子園ボウルに出場したことはありません。
つまり、中大にとって
甲子園ボウルに出場する(関東リーグを征する)とは、
そのチームの歴史の中で、
誰も経験したことのない未踏のゾーンに足を踏み入れるということです。

学生スポーツに限らず、スポーツチームには、
そのチーム独自の文化というものがあります。
それは先輩から後輩へと、脈々と受け継がれるものです。
とくに学生や部活、子供たちがやるスポーツでは、そういうものがある。

これまでの先輩たちが積み重ねてきた練習方法、
練習や試合への向き合い方、時間の使い方、価値観。
そういったものをすべて内混ぜにしたものが「文化」です。

そして、これまでの歴史では達成されていない
未踏のゾーンに入るということは、
これまでの歴史をつくってきた文化としては
未知、未踏の取り組み方をしなければならないということです。

そういう覚悟をもって、今までとはまったくちがう意識レベルで
ものごとに向き合わなければならないということです。

「目標・日本一を掲げる」とは、
そういうことに取り組むという意味なのです。
果たして、学生たちはそのことをちゃんと認識しているか、
ということですね。

自分達が何をやろうとしているのか、
それはどんなテーマなのか、ということを把握していなければ、
課題意識が正しく機能することは難しくなります。

スポーツの歴史を振り返ってみてください。
フットボールに限らず、プロ野球でも、F1でも、欧州サッカーでも
なんでもいいです。

Wikipediaなどで、歴代の優勝チームというのを見てみてください。
あることに気づきませんか?

どんな競技においても、「勝者」というのは、
競技者に対して均等に分散しておらず、
一握りの人たちに偏っているということです。

F1のミハエル・シューマッハや
野球の星野仙一監督の例を挙げるまでもなく、
どの分野でも勝者は一握りです。
しかも、それは「人間」と紐づいています。

彼らは、その他の「勝者になれない人たち」とはちがう何かを
知っているということです。
彼らが見ている景色は、その他の人たちのそれとは圧倒的にちがうのです。

そして真剣勝負において「勝者になる」とは、
そっち側の仲間入りをするということを意味しているわけです。
決してジャンケンのように、パーをだすか?グーをだすか?
それ次第でもしかしたら勝てるかも?というようなことではないのです。

中大ラクーンズに話を戻しましょう。
彼らにとって、リーグの覇者になることは、未経験の未踏の世界です。
その景色を見たOBは一人もいません。

だから、どんなマインドセットで1年間を過ごし、
どんな態度で日々を過ごすべきかを
どんなOBも経験値としてアドバイスをすることができません。

誰も知らない、誰もやったことがないレベルとやり方で取り組むことを、
1年間やりつづけるという覚悟を決め、
それを実行できるかどうか、ということです。

しかも、「これくらいやれば勝てる」という
決まった正解があるわけではないのです。
予め決まった正解のない仮説を立て、
見たことのないトライをしつづけるのです。

やらなければいけないことは、そういうことです。
それを具体的に理解し、自分ごと化し、共有しているか。
僭越ながら、それができている関東のチームは、
今は存在していないと思います。

リーグのレベルがいかなるものであっても、
ルール上、その年のリーグ1位になれば、トーナメントに出られて、
甲子園ボウルには出場できます。

しかし、近年の関東のチームは、
2017年の日大以外、甲子園で関西勢に勝っていません。

これは「甲子園に出る」ということと、
「甲子園で勝つ」ということが、
まったくちがうテーマとして存在していることを意味しています。

甲子園で勝つことは、甲子園に出場する関東代表のチームですら、
未踏のゾーンのできごとですから、
やはり彼らも未踏の取り組みをしなければならないということです。

そのための本気の覚悟を決めるしかない。
本気になったら、フィールド上で笑っているということは
ないのではないでしょうかね。

私はそう思います。

関東の試合のサイドラインの雰囲気を見ていると、
そういう異次元の本気度は伝わってこないのです。
試合前のウォークライは派手ですが、
そういう表層的なことではないのです。

もっと言えば、甲子園で勝ったとして、
その後のことまでちゃんと考えなければなりません。

この日本に、ディフェンディングチャンピオンとして
正月を向かえられるチームはたった1チームしかありません。

そうなったときに、新しいチームは、
どのような気持ちと過ごし方で1月を過ごせばいいのか。
そういう段階から、もう始まっているのです。
そんな正月も「未踏の正月」ですからね。

2018年の日大タックル事件が発生した一因には、
(監督・コーチの命令はなかったという事実は前提として)
甲子園で勝つことを目標にしつつ、長年、達成できなかったチームが、
ようやくその目標を達成したときに、
そのあとの過ごし方、気持ちの作り方という未踏のゾーンへの
準備ができていなかったことがあると思われます。

テーマは「連覇」になるわけですからね。
またしても未踏のゾーンです。

学生スポーツは4年間しか現役でいられません。
どんなに歴史と伝統のあるチームでも、
5年以上負け続けると、文化が伝わらず、
普通のチームになってしまう可能性があります。

現役にとっては「勝つこと」が未踏のゾーンになるからです。
負けに慣れてしまうということですね。

今年のシーズンイン直前のメディアに対する合同記者会見で、
二部のBig8で記者からこんな質問が出ました。

かつて甲子園ボウルに出たことがあるのに、
二部に定着してしまっていますが?

専修大学と日体大に対してだけの質問です。

選手たちの能力とメンバーの巡り合わせによって、
突風のように未踏のゾーンを突破するケースが
学生スポーツには稀にあります。

91年の専修大学と、93年の日体大はまさにそんなチームでした。
しかし、その突風を文化にすることができなかったんですね。
文化は、ほんの少しの時間が過ぎてしまうだけで
藻屑のように消え去ってしまう脆いものです。

勝ち続けるチームとは、
そのことをちゃんと理解し、
何が本当の危機なのかをわかっているのです。

そして、そのようなノウハウは、
日本の人口のほとんどを占める「勝者ではなかった人」には
シェアされないのですね。

これが、勝者が一握りでありつづける原因ですし、
勝者になることが難しい理由なのです。

僭越ながら最後に、中央大学ラクーンズのように、
力がありながら、毎年、残念な結果を繰り返しているチームに
アドバイスをさせていただきます。

本当に日本一を目標にするなら、

本当に「勝つこと」を目標にするなら、

「勝つ」とはなんなのか、
「日本一になる」とはどういうことなのかという本質を、
しっかりと掘り下げ、理解し、
自分達が成し遂げなければならないことは
本当はなんなのかを自分ごと化することです。

実はそれは目先の勝敗ではありません。
人間成長のための哲学的な問いです。

これは、もちろん指導者にも言えることです。
「もしかして勝てるかも?」ではなく、
「我々は勝者になる」と決め、腹を括り、
勝者に相応しい取り組み方、過ごし方を本気でするのです。

勇気を出して。慣れ親しんだ今までの常識と別れを告げるのです。

それでも結果は約束されません。
それでも、腹を括り、自分の「生きるテーマ」を絞り込むのです。

そうすれば、世の中の景色が変わります。
1秒1秒の過ごし方が、自動的に変わります。
その覚醒こそ、人間としての一生の宝なのです。

おっと、偉そうな戯言、失礼いたしました。
あくまで憶測ですから、
無視していただいて全然構いませんです。はい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?