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生きづらさの正体と、その解決方法

最近、本当によく耳目に触れる「生きづらさ」という言葉。
確かに現代社会はとても生きづらい社会だと思います。
でも、私から見ると、多くの人が
「生きづらい、生きづらい」と言っているだけで、
それをなんとかしようと行動していないと思うんですね。

言ってるだけじゃ、ダメに決まってるよと。

そこで今日は、「生きづらさの正体」を突き止めた上で、
その解決方法、手段を自分なりに書いてみようと思います。

反対意見がある人もいらっしゃるでしょう。
そういう人は、生きづらさを解決する手段を自分で考えて、
実践してみてください。

ただし、「生きづらさ」と一口に言っても、
様々なレベルがあると思います。
私がここで取り上げたいのは、例えば事故や病気で
体がまったく動かなくなってしまった、というような
「物理的な生きづらさ」や、
災害で家族全員が死んでしまったといような
日常の中では起こりにくいような状況までは
カバーできないということを最初にお断りしておきます。

それはまた別のレイヤーの出来事だからです。

「生きづらさ」の解決方法を考えるにあたり、
まず最初にしなければいけないことは、
「生きづらさとは何か」を定義することです。

「生きづらさ」を定義するために必要なことは、
「生きやすい社会」とはどんな社会なのかということを
具体的に考えてみることです。

どうでしょう。

今の社会は生きづらいなと思っているなら、
どうなれば生きやすいかを考えてみてください。
そのときに「自分らしく生きたい」とかはダメです。
もしそう思ったなら「自分らしい生き方とは何か」を考えましょう。
すると、「働かなくていい」とか、
「時間に縛られなくていい」とか、
なんらかの自分の要望が出てくるはずですね。

その要望を具体的に言葉にしてみましょう。
その言葉たちを冷静にみて、「なんだこんなことか」とか
「なんだ、ただラクをしたかっただけか」というなら、
そこで笑い飛ばして終わりにしましょう。

自分で頑張ればいいだけのことだからです。
・・・というか、解決手段はすでにわかっていて、
やればいいだけ「Just Do It」ですね。



最近言われる「生きづらさ」に関しては、偏見という問題があります。
人は、他者の生きづらさに関して、属性で判断することが多いです。
女性とか、性的少数者とか、そういうマイノリティや
ジェンダー問題を抱えた人の「生きづらさ」には共感するものの、
男性だったり、経済的に問題がない人に対しては、
「そんなのは我慢できるレベルだ」といって一蹴してしまいます。

その態度はよくありません。

人は皆、生きづらさを抱えています。
ただ、人によってジャンルがちがうのです。

自分と同じジャンル、もしくは自分の想像力の範囲内で
理解できるジャンルだけに共感してはダメです。

人は、誰だって生きづらいのです。
まずはそこを受け入れましょう。

人はみんな、それぞれに生きづらさを抱えているとして、
しかもそれを一律に測るモノサシはこの世に存在していないとして、
では、どうしてその生きづらさは存在しているのかを
とことん掘り下げて考えてみましょう。

そうすると、だいたいそこにあるのは「偏見」や「差別」、
「権利の問題」や「社会の構造」というようなものに
行き着くのではないでしょうか。

そしてどうしてそのような問題を「苦しい」と解釈するのかを
考えてみてほしいのです。

人間は脳によって考えますが、
それは実際には言語によって思考していることが多いです。
そして何かしらの要因を言語化すると、
そのイメージが脳の中で増強されるサイクルをつくりだします。

ですから、私はこういう理由で生きづらいのだ、と言語化すると、
意識が強く働いて余計に生きづらくなっていくという習性があります。
私は差別を受けているのだ、ということもそうだし、
私は悪口を言われているという思い込みなども同じです。妄想ですね。

私は人権というものは非常にたいせつだと思っています。
しかし最近、あることにも考えが及ぶようになりました。
それは、「人は皆、平等であるべき」なのですが、
「人は皆、平等であるべきだ」と思いすぎることで、
ちょっとした不公平にも我慢がならなくなる、ということがある。

元々は不平等を是正して生きやすい社会をつくるための「人権」が、
ある分水嶺をすぎると「自分は平等に扱われていない」という
被差別意識を過剰に醸成し、
返って自分を不幸にしてしまうという機能がある。

これは難しい問題なのですが、
そういう機能が確かに存在すると思うのです。

そう考える人もたくさんいるでしょうが、
人権を蔑ろにする意見と思われてしまうので、
黙っていることが多いと思います。

でも、実際にそういうことは起きていると思うんですね。

人間というのは、まったく合理的ではない思考を持っています。
例えば、今、人類はエネルギー問題を抱えていますね。
そこでやらなければいけないのは「省エネ」です。

テクノロジーは、今までと同じことを、
もっと少ないエネルギー消費で行える製品をたくさん世に出しています。
しかし、エネルギー消費は下がるどころか、逆に増えています。

どうしてだと思いますか?

人間は、常に満足せずに「もっと、もっと」と
思ってしまう性質があるからです。
せっかく省エネを実現したのに、
それならもっと電気を使っていいよね!という方向に行ってしまう。
こうなると、省エネ技術を発達させなかった方が、
総消費量は少なくて済んだかも知れないのです。

そういう性質は、省エネだけに限ったものではありませんから、
人権や生きづらさとも関わっていると言えるはずなのです。

人権という意識を持ったことが原因で、
今までは許容できたちょっとした不公平が気になるようになる。

ひとつの不公平が解消されても、それで満足することはなくて、
もっともっととなってしまう。
そうすると、この世は以前よりも不公平だらけに見えてくる。

必然的に「生きづらさ」は大きくなる。

こういう現象が、機能的には存在していると私は思っています。
もちろん、「だから人権なんていらないのだ」なんて思っていません。
だから難しいのです。

現代の人間が生きづらいのは、生きやすさを求め過ぎてしまったから、
という可能性が、少なくとも部分的にはあるということと、
それは人間の「満足しない」という性質によるのだ、ということ。

それを認めた上で、ここからちょっと厳しいことを書くようですが、
それは目下の「生きづらさ」を
本当に解消したい人に向けてだと思ってください。

さて、自分の生きづらさと、
生きやすい社会を具体的にイメージしたときに、
ひとつたどり着いてほしい場所があるんですね。
それは生理的には認めたくないことですし、ハードルは高いですが。

でも、絶対に必要なことなので書きます。

それは、生きづらさの原因を、「人のせいにしている」ということです。
社会構造などに関して、確かに人のせいの場合もあります。
しかし、それを変えるための努力や行動をせず、
受け入れているという段階で、やっぱり「人のせいにしている」んです。

その現実を、受け入れることがスタートです。

そして人の感覚というのは、
すべてがある種の「錯覚」であるということも、
受け入れてほしいのです。
暑い、寒い、痛い、冷たいというような反射神経のことは別として、
心で感じている快・不快などは、
実は自分の心が決めているだけで、自分の心持ち次第で変化します。

その上で、今、あなたが抱える諸事情を乱暴に無視して書いてしまえば、
「生きづらい」という現象は、
あなたの心が「勝手に」生きづらいと思い込んでいるということなのです。

そしてもうひとつ、人間が変えることができるのは、「自分だけ」という
残酷ながら認めざるを得ない現実を受け入れることです。
人は、他者を変えることはできません。

影響を与えることはできますが、人が変わるというのは、
あくまでも自分で気づいて、自分で変わるのです。

ですから、「○○のせいで自分は生きづらい」と思っている場合、
その「○○のせい」を変えることは、あなたにはできないのです。
(繰り返しますが、影響を与えることはできます)

ここから答えに行きましょう。

他者は変えることができませんし、
あなたの生きづらさは、あなたの空想の産物ですから、
生きづらさを今すぐ解消できる方法は「鈍感になること」なのです。

鈍感になってしまうことほど、心の負荷を減らせることはありません。
仏教が究極的に目指す「解脱」は、鈍感そのものです。

ただ、鈍感というのは性質なので、なろうと思って
なかなかなれるものではありませんよね。

だとすると、疑似鈍感力を目指すのです。
これは本当は鈍感ではないのだけれど、
鈍感な人のように自分の心と向き合う(あるいは向き合わない)
ということです。
端的に言えば、受け流す心のスキルですね。

このようなマインドセットを持ちながら、
悲壮感を持たずに社会変革に取り組むという姿勢が重要です。

もうひとつは、言語化による思い込みをポジティブに利用することです。
脳は自分の言葉を自分で聞いて確信を深めます。
「生きづらい」と言えば「生きづらい」と感じますし、
「自分には社会を変えられる」と言えば
「社会を変えられる」と感じるものなのです。

もちろん、社会は他者の集合体ですから、そう簡単には変わりません。
けれど、絶対に変わらないわけではない。
たくさんの人が自分で変わっていくという現象が
今までも何度も起きてきましたからね。

でも、それらはあくまでも自発的なのであって、
自発性を促す以上のことは、他者にはできないということです。

まとめましょう。
「生きづらさ」を短期的に解消する方法は、以下です。
人のせいにしない。
苦しさを言語化しない。
自分を苦しめているのは、自分だということを知る。
他者を変えるのではなく、自分を変える。
鈍感力、もしくは疑似鈍感力を身につける。
ポジティブワードを言語化する。

そしてもうひとつ「二元論」をやめる、です。

二元論とは、A or Bという考え方ですね。
白黒をハッキリしようとすることです。
これは、心の病のもとです。
この思考は自分を「できるヤツ」か、そうでないなら「ダメなヤツ」と
規定しまうことで、自分を追い詰めますが、
この世に白黒がハッキリしているものは存在しないのです。

無段階のグレーによってこの世は構成されています。
その最たるものは人間の心です。

この世は善人と悪人によってできているのではなく、
ジャンルごとに明度の異なるグレーな人々が集まって、
営まれているのです。

あなたの人生に物語があるように、他の人にもそれぞれに物語があります。
その存在を理解すれば、内容に共鳴できなくとも、
理由は理解できていくでしょう。

そうやって、自分の心のモヤモヤと向き合うスキルを身につけることが、
短期的な解決手段です。

長期的には、社会を本当に変えるしかありません。
つまり社会を変えるアクションと、自分が生きづらいことへの対処は
別の次元で思考・行動していくことです。

行動していれば、たとえ結果がすぐに出なくとも、
何もしていないときよりは、人は自分の価値を見出します。

そして、他者を力づくで変えるのではなく、
自分の意志で変化していくように環境を作っていくことが、
生きづらさを長期的に解消する方法です。

そのためには、すべての人が互いの人生の物語の存在を認識し、
そこに理解を示すことが重要です。
例えどんな理由があろうとも、
敵味方となって分断している間は、長期的な解決はありえないでしょう。

道は、相互理解の先にしかないのです。

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