いちばん面白い「不確実な未来」の見方。
よく人間は「歴史は繰り返す」と言いますね。
でも、私は歴史は繰り返さないと思っています。
それは経験というものが完全に消えることはなく、
時間の流れは過去から未来への一方通行だからです。
こんなイメージです。
→→→→→→→→→→→
もちろん世代を超えて知識が受け継がれなかった場合、
歴史は繰り返すように見えますが、それでも過去に起こったことと
完全に同じことは絶対に起こりません。
過去のある時点で起きたことを、どのように解釈するのか。
そこから未来をどのように見るべきなのか、
あるいは未来から見た現在をどのように解釈すべきなのか。
そういうことが気になっているので、まとめてみます。
※
過去のある時点で起きた出来事、ここでは仮にAとします。
それは、それまでの人類の生活様式を一変させるような出来事だとします。
それが起きたのは200年前だとしましょう。
一人の人間にとってはかなり昔の話ですが、
地球の歴史の中ではほんの少し前の出来事ですね。
で、多くの場合、私たちは、過去に起きたことを
現在からの目線で、現在の感覚で見てしまいます。
A←←←←←←←←←●
●は観測者です。
つまり我々のことであり、常にそれが記述された段階の「今」です。
私たちは歴史を俯瞰し、昔にこんなことが起こったのだ、
ということをある種、客観視するわけですね。
そして私たちはAということが起きたことや、
そのことが原因となって、
その後、どんなことが実際に起こったかを知っています。
A→→→→→→→→→●
現在はこうなっているということです。
では未来はどうでしょうか。未来はこうですね。
●→→→→→→→→→X
未来に起こることはわからないのでXとしておきます。
未来に何が起こるかわからないということは、
例えばこのコロナ禍を思い返してみれば明らかです。
我々が生きる近年はこんな風になっているわけですが、
2018 - 2019 - 2020 - 2021 - 2022 - - - -
コロナ禍が始まった2020年を契機に、それ以降の人類の歴史は
大きく変わってしまいましたね。
けれども、2019年の段階の人類は、
2022年の世界が今のようであるということは
まったく想像していませんでした。
けれど、2019年の段階でも何かは想像していました。
それは2018年に2019年を想像していたように、
つまり2018年と同じような2019年がやってくると思っていたように、
2020年も同じような流れの上にあると思っていたのです。
でも実際はちがいました。
この感覚が重要です。
※
先ほどの過去に起きた出来事Aをもういちど見てみましょう。
今の私たちからみたAはこうでしたね。
A←←←←←←←←←●
で、Aの後の世界はこうでした。
A→→→→→→→→→●
この時間感覚の中で非常に見落とされがちなのは、
私たちはAが起こるまではどんな感覚で生きていたかということを
忘れてしまうということです。
Aから経過した時間が長ければ長いほど、その傾向は強くなります。
やがてAという事象が起きたことや、
それが及ぼした影響であることも忘れて、
ただ「今」が存在していると思ってしまいます。
しかし、この事象をその当時に生きていた人々の感覚から言うと
◎→→→→→→→→→A
になるはずですね。
つまり当時の人はAが起こることは知らなかったのです。
そしてAのあと、世界がまったく変わってしまうことも想像できなかった。
そういうことですよね。
そのときの◎には◎の常識があって、
時代の中での雰囲気があって、何かしら考えている。
けれども時間の流れの中で変化する人間の感覚は、
それらを見えない状態にしやすいのです。
つまり我々が過去を教訓にするために歴史を学ぶなら、
こういう感覚で歴史観を見つめる必要がある。
↓←←←←←←←←←←←↑
◎→→→→→A→→→→→●
●から見た◎という人間の主観を知るということですね。
なぜなら、今我々に必要な未来の見方はこういうものだからです。
↓←←←←←←←←←←←↑
●→→→→→X→→→→→○
○は未来の観測者です。
未来に起きる出来事Xは、それまでの人間の常識や暮らしを一変させます。
そのときの「それまで」とは、つまり「今」のことです。
何が言いたいかというと、
私たちの未来がどれくらい不確実で、
今の日常からはどれくらい想像もできないようなことが起こるか、
ということを知るということです。
例えば1980年代の人はまだデジタル技術のビッグバンが起きていませんから
インターネットを想像することができません。
2010年までの人は、高齢化する地方の町が津波で町ごと流されたり、
原発事故が起きたらどうなるのかを知りません。
ここからわかるのは、未来がどれほど今とちがうかは、
過去の一点から今を見ることで想像できるということです。
私たちはそれを体験しています。が、過去の感覚を忘れやすいのです。
※
こうして過去から見た未来である今を見つめると、
もうひとつ面白いことがわかります。
未来がどうなっていくかと言うことの中で、
人為的に開発できるものについては、
例えば手塚治虫が描いた世界などに見るように、
一部のクリエーティブな発想力を持った人が描いた絵を参考にして
そこへ向かって進化する性質があるようだということです。
これはある種の自己実現的予言です。
自己実現的予言というのは、
「こうなんじゃないか?」と思うことによって、
実際にそうなるということです。
黒人は学がないという先入観のせいで、
黒人の進学が困難な社会が作られ、実際に学がない黒人が増えてしまう。
そんなサイクルですが、もちろん負の側面だけではない。
いいサイクルだって起こるわけですね。
未来は離れ離れであってもテレビ電話で会話ができる、という絵は、
私たちより昔の人が考えた未来像でしたが、
それが今になって当たり前になっているのは、
人類の自然現象的な進化というよりも、
参考になる絵を描いてくれる天才がいたから、という側面もあるでしょう。
しかも、技術はできていたのに、
それを一般化させたのはパンデミックだった。
そういうことも、何かのメッセージだと思うわけです。
※
私たち、日本人の身近な話で言えば、
安倍政権があると思います。
外部からは盤石に見えた安倍政権。
実際は政権与党であるために必死で、
カルト宗教まで利用していたわけですが、
盤石に見えたし、実際6度の国政選挙に連勝していました。
当時、安倍政権は終わらないように見えた。
少なくとも私にはそう見えていました。
独裁者が必ずやるという「任期の延長」も実際に行われたし、
もしかしたら、
このまま総理をやりつづけるのでは?ということも危惧されました。
彼が総理の座から降りるには、
事故などで不慮の死を遂げるしかないのだろう
そんなことを内心思っていました。
しかしコロナ禍が起き、
安倍晋三は任期を全うする前にその座を降りました。
それだけでも驚きでした。
こんなことってあるんだなと。
絶対にオリンピックまで辞めないと思っていましたから。
でもそれは叶わず、しかも当のオリンピックまでもが延期に。
そうかと思えば、究極なのは例の事件ですよね。
先の参院選に入る前までは、
「この後3年間、国政選挙がない」ということは
「自民党のやりたい放題の3年間がやってくる」と危惧していました。
しかしその選挙が終わってみると、
安倍晋三はこの世からいなくなっていました。
ロシアとウクライナが戦争をし、
アメリカの利上げが原因となって物価は高騰し、
長年デフレで苦しんでいた日本は、スタグフレーションという
最悪の状況となりつつ、統一教会の問題で自民党政権がグラグラです。
こんな2022年の年末を、いったい誰が想像したでしょうか。
※
私が言いたいのは、いい意味でも、悪い意味でも、
未来は誰にも絶対にわからない、ということなのです。
それは絶対的に事実だと思います。
様々な人が未来を予測します。
それは「このままいけば」というようなことであって、
このままいくことはほとんどない、というのが人類の歴史です。
しかし「このままいけば、ではなかったね」という感覚を
忘れてしまうのです。
そこを忘れなければ、どんな荒唐無稽な未来予測図もバカにはできない。
今の日本人は、脱炭素なんてできるわけがない、
という感覚の人も多いです。
でも、実際に2050年にタイムスリップしたら、
脱炭素社会が実現されていた、としたならば、
その間に、いったい何が起きたのでしょうか?
その2050年の人と会話をしたら、
どれほど今の我々とは常識がちがうのでしょうか。
それは人権意識の薄かった戦前や、女性の権利がなかった戦後すぐの人が、
今の我々と会話したら、きっと驚くだろう、
ということからすぐに想像がつくはずです。
そして、多くの場合、その変化は
「すでに存在していた意見に、後から気づく」という流れもあるはずなんですね。
誰かがもう話しているものです。ただそのときは無視されているのです。
そういうことは科学の世界でもたくさん起きてきました。
人は大切なことが目の前にあることに、気づかないものなのです。
忘れないで欲しいのは、この見方です。
↓←←←←←←←←←←←↑
●→→→→→X→→→→→○
この未来の見方を忘れないようにすれば、その未来像は無限であり、
絶対の答えなど存在しないこともわかるはずです。
様々な可能性が、否定されずに存在していることが重要だと思っています。
それが今までに起きた現実だからです。
歴史は繰り返さない。ただ経験が積み重なるだけ。
科学現象のように同じことが起きたら毎回同じ結果にはならない。
それが人間の歴史です。
なぜなら人間には文化や環境による性質、常識が、みなちがうからです。
だからこそ、いろいろな過去の事例に接する時に
過去の段階でのそこに暮らす人々の「今」の感覚を想像する力がないと、
未来への視野が狭まってしまうと思うんですね。
人間は今までに、突拍子もないことを実現してきたという事実があります。
だから、それはこれからも起きます。
それがどんなものなのか、今はわからない、というだけです。
あなたの人生だって、そうなのです。
どうです? 未来が楽しく思えてきませんか?
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