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日本らしさって、なんだろう。日本人らしさって、なんだろう。

以前から気になっていたことがあります。
例えばサッカー日本代表の試合を観ていて(実はあまり観ないのですが)、
「日本らしいサッカーが」という言葉をよく聞くわけです。

だいたいが「もっと日本らしいサッカーをやってほしい」
などというように、現状があまり本意ではない状況の時に聞かれます。

私が観るときはだいたいそうなのか、
「今日は日本らしいサッカーができています」というのはあまり聞かない。

私は未だに「日本らしいサッカー」がどんなものなのか
観たことがないのです。
だから、「日本らしいサッカー」という共通言語がない。
「日本らしいサッカー」でどんなサッカーを意味しているのか
共通に思い描ける人が羨ましいのですが、
もしかすると、不本意な状況になっていることが多いなら、
その様子こそが「日本らしいサッカー」なのでは?などと
思ってしまう自分もいます。

サッカーファンの皆様、そして、関係者の皆様、素人がごめんなさい。

さて、いったい何が言いたいのか、ということを整理していきます。

今、自民党の総裁選が近づいていて、
そのあとには衆議院選挙も控えていますね。

皆さんはどれくらい把握されているかわからないのですが、
自民党という政党には、「国家観」があります。
そのことをよく「伝統的な日本」とか「美しい日本」などと
表現していることが多いように思うのですね。

で、その「伝統的な日本」「美しい日本」と聞いて、
日本人たちはどんな日本を思い浮かべているのだろうか?と。
果たして、何か共通の日本像を思い描いているのか?ということです。

そこがちがっていると、実は「美しい日本を実現する」
という言葉が持っている意味の本質を取り違えます。
コミュニケーション不全が起こりますね。

だから、「日本らしさ」って何のことなのかを考えたいのです。

普通、「日本らしい」というと、「和風」なイメージですね。

家なら日本家屋。部屋なら畳敷。
料理なら和食ですね。
服は着物や和服ということになるでしょう。

芸能ということになると、能とか歌舞伎とか、浄瑠璃、
落語なども日本的ですよね。

神社仏閣も日本的ですし、お城なんかもそうですね。

この辺りのものは「伝統」と呼ばれるに相応しいですね。
そのぶん、我々の現代の日常にはあまり縁がないものも多いかな?

はたまた、明治や大正の時期に作られた、
西欧文化を入れた建物や文化もまた、ある意味日本的ですね。
西洋を死に物狂いで取り入れた時代の痕跡です。

日本には武士の文化もあるし、短歌や俳句の世界など、
時代時代によって本当に様々な側面があるわけですね。

日本人なら誰もが、なんとなく感じていることです。
ただ、それらのどれが「伝統的なのか」
「美しいのか」ということについて、
あまり深く考えたことはないのではないでしょうか。

例えば「天皇」がいますね。歴史の中では「朝廷」と言われてきました。
現代では「天皇制」という形をとっていますね。

今の日本人が「伝統」だと言われ、そう信じている
天皇制や、家父長制というのは、
日本が近代に入る時に、つまり明治時代になってから整備されたものです。

その目的は、それまで日本の中にたくさんの藩が存在していた体制から、
「日本」というひとつの国になって
西欧列強と戦うために「国民皆兵」にする必要があったからです。

それまでは、兵士は武士だけでしたし、
身分制があったから、限られた人しか兵士になれなかった。
それを国民全員が兵士になるという考えが「国民皆兵」です。

ときは帝国主義時代。
国と国が戦争をして領土を取り合う時代でしたから、
当時の人がそのような発想になったことも仕方ないでしょう。

私が問題だと思うのは、
今の自民党が「伝統的な日本」というとき、
明治〜敗戦前までの日本を指していることなのですね。

明治時代につくられた近代日本など、
いろいろあったこの国の歴史の中ではそれほど長いものではなく、
伝統と呼べるものではないのが現実です。

でも、多くの人が「伝統」と言われただけで思考停止して、
「今とはちがう古き良き、いつだかわからない日本」という
うやむやなものにしてしまっています。

海外などの都市を見ても、どこも人の歴史を積み重ねた変遷があります。
西と東の文化が交わる場所だったとか、
交易が盛んでよその国の文化や宗教が混ざったとか、
時代ごとに様々な民族に支配された結果、
いろんな文化がミックスされたとか。

そんな話はどこにでもあります。
むしろ人間が移動し、交わり、くらしを営んだのですから、
当たり前のことですね。

それに対して日本は四方を海に囲まれた島国だからなのか、
自らの純潔をことさら誇ろうとしているように思います。

でも、我々の国、日本も、朝廷の時代があれば武士の時代もあり、
商人の時代もあって、ときの実質的な支配者は変わってきた。
その支配者によって文化が変わり、過去と混ざり、
様々な彩りに変化してきたわけです。

だから、「日本はこういう国だ!」とシンプル化することは
できないんですね。
これが日本の伝統だ!とは言えないのです。

もちろん、その中に美徳として長いこと貫かれた価値観はあります。
私は個人的に、それは侘び寂びの精神や、武士道、
礼に始まり礼に終わるなどの礼節だと思っています。

しかし、それ以外は、ほとんど流動的だったし、
その流動性も含めて日本なのだと思うのです。

明治維新の頃、天皇を崇める国家神道を国教にしたかった勢力は
廃仏毀釈といって仏教を禁止しようとして、
お寺を破壊しようとしましたよね。

日本人が、日本の伝統であるお寺とその文化を
根絶やしにしようとしたのです。

その現実もまた、日本の歴史なのです。
それも含めて、日本。

そう考えるべきです。

事実なのですからね。

そう考えると、先の敗戦もちがったものに見えるはずです。

徳川家による江戸幕府の支配をクーデターで終わらせたのが薩長でした。
これが後に「明治維新」と呼ばれるもので、
現代の日本も、基本的にこのときの支配体制のままつづいていますね。

幕府ではなく「日本政府」が今も我々を支配しているのですから。

そして日清日露、第一次大戦、というたくさんの戦争に勝利したあと、
日中戦争と、その流れによる太平洋戦争に敗戦。
日本は今の2大超大国、中国、アメリカと戦争していたのですね。

日本はアメリカに支配されることになります。
そのアメリカの監視下の元、憲法を作り直し(それが現行憲法ですね)、
民主主義を取り入れたということです。

それは例えば、香港が元は中国の一部でありながら、
イギリスに植民地支配され、
その影響で民主主義の文化を育んだのと同じようなことで、
文化というのは時の流れによってミックスされていくということです。

物事の良い悪いではなく、それが世界中の文化の現実です。

日本は、戦争でアメリカに負け、
暮らしの中にアメリカ文化を融合していって、今がある。

その中で、一体何を「もともとの日本らしさ」だと主張するのか。
そこが問題です。

中国が香港を取り戻そうとして、いま、民主主義を弾圧していますね。
私は、基本的に自民党もそれと同じ構図のことを
しようとしていると思っています。

「日本の伝統」「日本の文化」「天皇」という言葉を使って。

しかし、私たち日本人の庶民の暮らしの中に、
天皇が大きく存在したのは、
恐らく明治から敗戦までの70年ほどの間だけのことなのです。

私が言いたいのは、「日本らしさ」というときに
天皇や家父長制だけを持ち出すのは、正しくないということです。
もちろん皇室も日本の歴史の一部であることは確かですけどね。
日本はものすごく変化に変化を重ねた国ですから。

なので、「日本らしい価値観」と言ったら、
「侘び寂び」や「武士道」のことなのだと思います。
それらの価値観も最近は古いと思われていますが、
海外の人々から日本の美徳と認識されているのは、その部分だと思います。

様々な支配者のもとで変化を繰り返してきたのは、
日本も外国も同じなんですね。

日本だけが特別だと思い込んでしまうのは、
「日本は特別な国だ」という考え方を使って日本を統治した人々が、
日本人に思想を植え付けたからであり、
その人たちが、また最近、そのことを声高に言いだしているからです。

「日本らしさ」とは日本人がやってきたことすべてであって、
良いところも、そうでないところもあって当たり前。
京都に行くと感じられる風情も、
地方都市の駅前はどこも同じような景色であることも、
どちらも日本らしく、日本人らしいということです。

靖国神社が伝統的なものだと思い込んでいるのも、
日本人らしいといば、日本人らしい。

はっきり言えば、世界中、どこの国の人も
自分の国や自分たちの民族を誇りに思っています。

誰もが特別であり、逆に言えば誰も特別ではありません。

私は日本が好きだし愛していますが、
それは私自身にとってここが馴染みだからであり、
自分にとって特別な意味があるからなだけです。

日本人として本当の自信を持つために、
バラエティに富んだ日本の歴史を正しく知り、
その延長にある、現代を知り、
目の前の右往左往を諌め、互いを尊重しながら、
地に足をつけ、人や自然と共生するという
豊かで寛容な価値観を育んでいきたいものです。

それこそが、日本の美徳なはずだからです。

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