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「生」と「死」の問題を建築家はどのように扱い、建築に反映させてきたか。

内藤廣の著書、建築、スペイン哲学などふまえて、「住宅論」「続住宅論」の中で示されている「死」と「生」の建築の中での反映のされ方(生きられたではない)、ラテン文化圏の「黒」との関わり方の個人的解釈。

・篠原一男は、近代理性に対する病的な空間として、「黒の空間」を提案した。
・黒の空間は、壁の向こう側との隔絶を示し「絶対的な孤独」を表現しているとした。また、その絶対的な孤独は、「死」の空間と地続きであり、対現象として人間の「生きること」への凝視が生まれるとした。

この考えは、「黒」を「死」を象徴する色とした、スペインのエスパーニャ・ネグラの表現と類似性がある。

また「孤独」の表現はバラガンの中にもある。
つまり、バラガンや篠原は、「死=孤独」の空間を作ることで、「生(理性と対になる感情、情念)」を顕在化させようとした。

これに対して、内藤廣によるスペイン建築の解釈では、感情はアーチという資格で表現しようとしたとしている。

これより、「生(情念、感情)」を建築が顕在化させようとした場合、ここでは空間によりそれを顕在化させることと、物により視覚的に顕在化させるという少なくとも2つの方法があることがわかる。

そして、現在その個別的「生」は動物化し気づかれないままコントロール対象となっている。しかし、その予測を逸脱する「生」があり得るのではないかというのが現在というところかな。


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