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【エッセイ】付喪神の吐息

 リサイクルショップが好きだ。新品ではないがまだまだ人の役に立とうとする物品が、傷も汚れも恥じることなく、背筋を伸ばして並んでいる。粗大ゴミでなくリサイクル品としてお店に持ち込んだ持ち主と、それを引き取り洗って磨いた店員さんの愛を受けた商品たちだ。
 母はリサイクルショップが大層好きだ。正確に言うと、リサイクルショップを巡るのが好きで、何処かに遠出するとなると決まって道中のリサイクルショップに立ち寄りたがる。立ち寄りたがる割には滅多にものを買わないので、リサイクルショップでものを探すこと自体を楽しんでいるのだろう。

 そんな母が一度だけ、リサイクルショップで大型家具を買ってきたことがある。革張りの、真っ白い一人掛けソファだ。母曰く「一目惚れ」らしい。
 高倉の実家には既に三人掛けのソファがあった。此方も真っ白い革張りで、並ぶとまるで元々セット商品だったかのような見栄えになる。リビングにもよく馴染んだ。
 新品同様、と言えるほどのぱりっと感こそ無いものの、革は殆ど摩耗していないし、傷も汚れも見受けられなかった。座り心地も申し分ない。母は良い買い物をしたと思う。

 とは言えリサイクル品、どこにどんな汚れが潜んでいるか分からない。
 母はソファをリビングに持ち込むと、丹念に丹念に拭き上げた。表面、足、クッションの隙間。リサイクルショップの店員さんがある程度掃除してくれているとはいえ中古品、加えて、店頭に並んでいる最中に誰がどう試座したか知れたものではない。革張りはでは洗濯もできないので、とにかく拭くしかない。
 それから母は、折角きれいにしたソファに粗塩をふって、日当たりのいい窓辺に暫く置いた。風水に詳しい母曰く、リサイクル品、特に大型の家具やインテリアには前の所有者の念がこもりやすいらしい。綺麗にして、お祓いをしてやることで、前の所有者の念を祓い、晴れてうちのものになってくれるのだそうだ。その白いソファは居心地が良くて、今やリビングの特等席だ。

 リサイクルショップ特有の空気がある。洗浄液のにおいなのか、古い家具特有のにおいなのか判然としなかったが、母の受け売りを聴いてから、もしかしたら「前の所有者の念」というやつなのかもしれないと思えてならない。未使用品ならまだしも、数年、数十年使われた家具に、事故物件のような因縁こそ無くとも多少宿る情というものはあるだろう。和服コーナーにさげられた上等な着物は、もしかしたら誰かの遺品かもしれない。前の持ち主に何の未練も無ければいいが。
 物品が前の持ち主の手を離れて第二の人生を歩もうにも、人の情念の所為でままならないこともあるのかもしれない。髪が伸びる日本人形だって、人間の情念に取りつかれさえしなければ、疎まれて恐れられてお焚き上げされる羽目にはならなかっただろう。うちに来たあのソファも、母がきちんと掃除をしてお祓いをして愛していなければホラー映画のような猛威をふるっていたかもしれない。人間の情とは、厄介だ。
 とは言え、手元を離れて尚、こびりついて離れない情というのもまた愛かもしれない。やはりリサイクルショップは愛で満ちている。

 百年を経た器物には精霊が宿り、付喪神に成るらしい。それはなんて、愛に満ちた妖怪なのだろう。百年間も捨てられず、もとの形状を保ったままで使われ続けた物品なんて、この上なく愛されている。リサイクルショップに並ぶ物品の中に、いつか付喪神になるものがあるかもしれない。
 帰り道、久しぶりにリサイクルショップに立ち寄った。付喪神が呼吸をするのだとしたら、その吐息はこんな香りなのだろうか、と考えながら、深呼吸をする。

 

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