「頑張れない」の本質
私は「頑張る」という言葉をよく使います。
そんな私も今は、勉強が嫌い、塾がイヤという子どもたちの学習支援をしていることもあって、ついつい「頑張れ」と言ってしまいがちですが、この言葉の効果のないこと。
そもそも「頑張る」ってなんでしょうね?
私は3つ上の兄がいたので、「耐える」ことを習慣とし、「頑張る」ということをすることが大事だと思い込んで生きてきましたが、世の中そういう人ばかりではないわけで。
なので、そういう人たちに「頑張れ」と言っても響かない。
それはたぶん、「頑張る」理由がないからでしょう。
ちょうど、上司が部下に「頑張れ」と言っても、全然部下に響いてない時と同じ感じです。
「頑張る」の語源は、「我に張る」説と「眼を張る」説があるようで、それが転じて「頑張る」になった経緯がありますが、どうもハッキリしません。
たとえば岩波書店の『広辞苑』は「我ニ張ル」のみを、小学館の『新選国語辞典』では「眼を張る」のみを語源としているのに対して、三省堂の『大辞林』では両論併記していたり、解釈もバラバラです。
日本語は歴史の深い言語ですから、こういった、イマイチ語源がわからない言葉というのが多々あります。
そういうのを気にせず生きることも可能ですが、でも「そもそもなんだろう」と思ったら、語源(そして現代に至る経緯まで)に光を当て、時に人に呪縛を与える言葉の本質を見出すことに意義はあると思うのです。
話を戻しますが、その「我に張る」だろうが「眼に張る」だろうが、元々どういう意味だったのかをザックリまとめると、
我に張る⇒我を張る
眼を張る⇒にらみつけて留まらせる
というような意味だったようで、実は「頑張る」の意味を辞書で調べると、似たような意味がまだ残っているのがわかります。
頑張る(『広辞苑』第七版より)
①我意を張り通す
②どこまでも忍耐して努力する
③ある場所を占めて動かない
「我に張る」も「眼を張る」も、意味はもちろんどっちも違いますが、そこにある本質(上記の①とか③とか)は、今我々が当たり前のように使っている「頑張れ」「頑張る」とはまったく違うものですね。
むしろ、「我が我が」感が凄くして、とても感じ悪い。
そういうことを考えると、よく、困った人のことを「アイツ一人で頑張ってるよw」みたいな言い方をしますが、アレが実は一番正しい「頑張る」の使い方だった、というわけですね。
いずれにせよ、そこにあるのは「頑(かたく)なな姿勢」ですよね。
そこで「我」だか「眼」だかが、「頑張る」という漢字に変わっていった、と見る方が現代人から見て一番しっくりする理解でしょう。
そんな「頑張る」が応援の意味に変わっていったのは、先の大戦の影響があるようですが、もちろん我々はそんなことを意識せずに「頑張れ」「頑張る」という言葉を使って、むしろその意味しか知らくなってしまった。
そして近年は、「頑張れ」というその一言が「追いつめるからダメ」という風潮もありますね。
その「優しさ」は理解できるものの、何でもかんでも予防線を張って、当たり障りのない言葉を言い連ねることがいいことだとは思えません。
というかそもそも「頑張れ」ってなぜ言っちゃいけないのか?
「頑張れ」と言われて「応援してくれる」と感じる人もいるのに?
その辺のモヤッとしたところをスッキリさせたいですよね。
そもそも、「頑張れ」が力になる人ってどんな人でしょうね?
マラソンランナーとかどうでしょうか?
本来、普通の人はあんなに長距離走りたくないですよね。
だから自然と、「頑張れ」って言いやすいというのもあります。
(マラソンに限らず長距離は特に)
この時にランナーが「頑張れ」と言われて、やる気をなくすなんてことはないですよね?
それはなぜか。
そもそも、ランナーは走りたいから走っているわけですよね?
だから、他の人が「やめた方がいい」とか「毎日練習よくやるね」とか言われても、走るわけじゃないですか。
それはなぜかって、自分が走りたい、速くなりたい、完走したい、いい記録を残したい、アイツに勝ちたい、とかそういった「我」というか、「我欲」があるからですよね。
実際は、支えてくれた人のためにとか、所属するチームのためにとか後付けの理由が付くことも多いですが、そもそもは、メロスみたいに誰かのために走っているわけじゃなく、自分のために走り始めたはずです。
「頑張りたい」から、「頑張っている」んです。
自分の「目標」や「夢」のために「頑張りたい」だけなんです。
それなのに周りが「頑張れ」と言ってくれたら、どうでしょう?
自分の「我欲」を応援してくれているように感じないでしょうか?
だから、「頑張れ」がエネルギーになるワケです。
スポーツの応援なんて大概そうじゃないですかね?
「目標」がハッキリしているから、「頑張れ」が響くのです。
もちろん中には、「金メダル候補」みたいになると、「頑張れ」がプレッシャーになることもあったり、「国民のために頑張っているワケじゃない」と反発する選手もいますけど、大概は、「目標を追う自分」を応援してくれることが、エネルギーになるワケです。(特に注目されていない人ほど!)
じゃぁ逆に、「頑張れ」って言われてやる気をなくす人はどういう人かって言うと、自分の「目標」のためではなく、誰かの「目標」のためにやらされている人ですよね。
たとえば、親に勉強をやらされる人とか、ブラック企業と呼ばれる所で働く人も、そういう人が多いかもしれませんね。
「ブラック企業」は、「成功したい」「人の上に立ちたい」という「我欲」の強いワンマン創業者が作った会社が多いです。
その結果、基準が創業者なので、人間性に問題があっても「我欲」の強さで仕事の結果を残した人が上に立ちやすく、下の人間を自分と同じように「頑張らせよう」とする結果、パワハラやブラック企業体質が生まれてしまうんですよね。
当然そんな環境なので、「もっと金を稼ぎたい!」「俺が上になって見返してやる!」と死ぬ気で頑張れる「我欲」の強い人なら出世できますが、そうじゃない人だったらどうでしょう?
だから、「頑張れ」と言われても、「頑張れない」のです。
「頑張れない」の本質はこういうことです。
かといって私は「我欲を持て!」と言っているわけじゃありません。
「我欲」つまり、自分のことだけを考えた人間が成功してしまうこともある、「我欲」が強い人しか生き残れない場所がある、ということです。
そもそも「我欲」とは、本来は「よくない心持ち」の例ですよね。
ブラック企業でなぜ多くの「常識人」が心をやられるかと言えば、常識的には許されない所業がまかり通るからです。「我欲」もその一つです。
「我欲」が許されるのは、それが成果に結びつくからです。
だから、「我欲」で成功した人はみんな、我が強く、どこまでも頑張り、そして周りから何を言われても変わろうとしない、とも言えますけどね。
でもそれが必ずしも「理想的な状態」ではありません。
ワンマン創業者も、本当に「我欲」だけ、自分のことだけしか考えずにやってきたら、きっと誰からも応援されずに、どこからも仕事が来なくなっていたハズですが、仕事があり続けるということは、少なくとも取引相手にとっては、何らかのメリットを提供し続けてきたわけです。
アップルの創業者、スティーブ・ジョブズなんかもそうでしたね。
身障者用スペースに車を止める、トイレで足を洗う、気に入らない人は追放するなど、自分のしたいことをやり通して会社を追い出された「我欲」に満ちた人でしたが、人々が望む物をつくり出すことにこだわることが人々に支持されたから、アップルに出戻り、再び成功したわけです。
ですから別に、そこに「我欲」があろうとなかろうと、相手が必要とするものを提供し、頑張り続ければ、結果が結びついていくわけですね。
では、「頑張り続ける」にはどうしたらいいのか?
「我欲」が必要なのか?
そんなことはないですよね。
実際、成功している人の中には、「我欲」のかけらも感じないような人の良さそうな人、まったくオーラのかけらもないような人もいます。
ただ、そういう人は、心の中に「我欲」に変わる、強い「信念」や「目標」があることが多いです。
わかりやすい例で行くと、「半沢直樹」なんてのはその典型じゃないでしょうか。銀行員は企業を助けるために存在するという強い信念があるから、どこまでも戦える、というストーリーです。
もちろんあれはフィクションですが、ヒントにはなりますよね。
つまり、「信念」なり「目標」なり「夢」なり、心の中に「我欲」に変わる強い意志を持っていれば、同様に「頑張る」ことができるのです。
だからもし、あなたが今、「頑張れない」のだとしたら、今のあなたには「我欲」も「信念」も「目標」も「夢」もないから、ということです。
それはとても厳しいことを言っているように感じるかもしれませんが、そんなことはありません。
例えば子どもって、好きなことに以上に執着しますよね。
あれは、語源に近い意味の「頑張る」ですよね。そこにヒントがあります。
子どもで成功している最近の例は、最年少二冠&八段になった「藤井聡太」がいますね。
かつては負けず嫌いがすぎて、碁盤にしがみついて泣き叫んでいた「我欲」のかたまりだった少年が、いつしか「羽生先生のようになりたい」と「夢」や「目標」を持ち、そしてどんな相手にもゆるがない「信念」を持ちながら将棋を指せる心持ちに至ったわけです。
これは才能の問題ではありません。
自分の心に正直に従いながらも、昨日の自分より成長したいと思ってきたかということです。
だからもし、あなたが今、「頑張れない」のだとしたら、それはあなたの心に正直に生きていないから、ということになるのでしょう。
そして多くの人が、心に正直に生きていないので、「頑張れない」。
だからこそ、「我欲」が強い人が勝ってしまう悲しい現実があるのです。
余談ですが、こういう結論に至った結果、勉強を嫌がる子どもに「頑張れ」と言いたくなった時は、その言葉を一旦引っ込めて、
「夢とか目標はないの? なんか小さいことでもなんでもいいからさ」
と言うことにしました。
すると、「人に話すのが恥ずかしい夢みたいな話だけどさ……将来はお金持ちになりたいけど、どうやってなったらいいのかわからない」と本音を話してくれました。
ですから、「お金持ちは大学出ただけじゃなれないので、株の投資とかやってお金持ちになるという方法もあるよ」と株式の説明をしたらとても前のめりになって学んでくれました。
子どもたちは「信念」まで強い物を持っていない子も多いですから、それは「夢」という「目標」を設定し、それが消えないように応援し続けることが大事ですね。
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