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映画「麥秋」について

小津的なるものの凝縮

2024年6月U-NEXTにて鑑賞。
先日「小早川家の秋」を観た後、関連動画を探すと、小津作品でひとつ選ぶとすれば「麥秋」だと言う映画監督がいた。
その映画監督とは井口奈己氏で2023年の東京国際映画祭でのトークイベントでの発言である。

視聴し、なるほどと思い、鑑賞した次第。

映画を観たところで、まず、初歩的な間違いを注意喚起しておきたい。
登場する「大和」という地名は、神奈川県「大和市」を指すのではない。
「大和」とは、すなわち奈良県の方の「大和地方」を指すのである。
私はてっきり大和市だと思っていたが、ある解説文を読み知った。
こんな間違いは、多くの方がなされないとは思うが、一応、書いておく。

さて、映画本編についてであるが、確かに小津的なものが凝縮していると感じた。
これより後に、「東京物語」や「お早う」も製作されることになるが、既にこの映画で、親子、結婚、子供など様々な要素が描かれている。
また、娘の原節子が快活で笑顔を絶やさぬ娘を演じて、好ましい。
他の小津作品での原節子は、やや暗い感じ、悲壮感の方が印象的な役も多いが、この作品ではそうでない。
ただ、最後、結婚を決めるという一番幸せであろうはずのシークエンスこそ、悲壮感が漂う。
おかしな話だ。
麦秋とは、季節としては、初夏を指すとことだが、さほど暑くは感じない。
登場人物の団扇や扇子は、ほとんど見られない。
正確とは言えぬが、ラストシーンの大和の婚礼の列の最後の紳士らしき人が団扇をあおいでいたくらいである。
ということで、小津作品で何かひとつ選べと言われたところで、「麥秋」を選ぶのは納得である。
確かに小津映画の良いとこどりという意味で、「麥秋」には、小津のすべてが詰まっているのだ。

だが、いちばんのこの映画の肝は、「居心地の悪さ」の露出にある。
そもそも、唐突にも見える紀子(原節子)の結婚は、母の矢部たみ(杉村春子)に気持ちを伝えたのみで、謙吉(二本柳寛)に直接伝えたのだろうか?
そこを一切省略している。
これを観客の立場として居心地悪いと言わずして何と言おうか?

また、気になるのは、場面転換に挟まれる情景カットに移動が多いことである。
別に静止画でも良さそうなものも移動で撮られている。
室内でさえ、移動しているカットがある。
このあたりは、専門家の領域だが、何か不気味さを感じてしまう。

というように、表向きは、単純なホームドラマのような映画だが、どこかおかしな映画であることは間違いない。
それでいて、とても明るく楽しい映画になっているのが、この「麥秋」の魅力かと思われる。

2024年7月5日UP
※このテキストは、筆者がYahoo!検索(旧Yahoo!映画)に投稿したものを転載したものです。

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