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【雑記】10年で考え方がこれだけ変わったよって話

こんにちは。

メールの下書きを整理していたら、10年前にnoteに書いた記事を見つけました。
別のアカウントで書いたもので記事自体は削除しているのだけど、内容はどこかに残しておきたいと思って下書きに入れておいたんだった。

なんだかとても懐かしいのと、ちょうど10年ということで記念に。笑


タイトル:25歳時点での私の生き方論

ネット徘徊している時に、どこかのブログか何かで
「人は自分のためだけに生きることは出来ない」とあった。
ブックマークしてなかったからそのページを示すことはできないけど、
内容としては「うつになって、最低限自分のことだけやってたらつらくなった。人のために動くことがないとこんなにしんどいのか」というものだったと思う。
目からうろこだった。
人のために動くことによって自分が生かされるなんて、考えたこともなかった。

私はずっと「人と動く=働く」だと思っていて、
だから誰かと一緒に何かをすることが働くことだと思っていた。
でも、もしかしたら「人のために動く=働く」なのかもしれない。
人は働くことで生きることができる。逆に言えば、働かないと生きていけない。
「働く」という漢字は日本人が作った唯一の漢字だというけど、
日本人の働くことに対する考え方は、そういうことなのかなと勝手に思っている。

仕事がつらいと言う人のうち、大体の人が「自分が人の役に立っているという実感がない」と言っているような気がする。
(自分の周りだけかもしれないから断定はできないけど)
体力的にきついとかもあるけど、それでも人や社会の役に立っている実感がある人は仕事を頑張ろうと思っている。
私の周りの社会人はそうだ。
直接人と関わらない仕事も増えている中で、精神衛生を良く保つためには、
「自分は人の役に立っている」という実感を持ち続ける必要があるのかな、と思った。

ただ私は、自分の身を削ってまで人助けをするのは反対だ。
なぜなら、自分を犠牲にして人を助けてもイマイチ満足できないからだ。
自分を犠牲にして人を助けると、人助けをした満足感と共に少しの「うらやましさ」が生まれる。
「この人は自分にこんなことをしてもらっていいなぁ、自分も誰かに助けてほしいなぁ」という感じ。伝わるかな?
この気持ちは経験上どうやっても満たされない。
たとえ自分を助けてくれる人が現れても、どれだけ尽くしてくれても「もっともっと」とわがままになってしまう。
そのわがままをぶつけられた相手がどう感じるかは、誰にだって想像できると思う。

人助けをされた相手に対するうらやましさをなくすためにはどうすれば良いか、私の答えは「まず自分が自分を満たしてあげる」ということ。
苦しんでいる人を助けたい気持ちはわかるけど、まずは自分で自分を助けてあげないと。
自分の身にふりかかる火の粉を振り払うことが、人助けのための第一歩だと思う。

だから、今の仕事がつらいと思っている人はやめればいいと思う。
たとえその仕事がどんなに尊いものであったとしても、自分の心や体を壊しては意味がないし、周りの人の幸せのために自分を犠牲にするなんて、そんな公共の福祉的精神は憲法だけで十分。

私が子どもに公共の福祉について説明する時は、こういう言い方をする。
「例えば自分の家が建っている場所に道路ができれば東京大阪間を10分で移動できるようになるとする、それなら自分が引っ越しをしてでも賛成するだろ?自分が我慢するだけでたくさんの人が幸せになれるのが公共の福祉だ」と。
そのくらい大きな幸せが得られるなら、そのための我慢はして良いと思う。
でも「どっちが良いんだろうね」と悩むようなときは、私は絶対自分の気持ちを優先した方が良いと思う。
(※私は社会の教師ではないので、もしこの説明が間違っているなら訂正してください)

今の世の中はなんとなくイヤな空気で満たされている。その中でも楽しそうに生きている人がいる。
その違いは「不本意に自分を犠牲にしていないか」ということだと思う。
世の中を変える、なんて大きなことを言うつもりはないけど、みんなが幸せになるためにはまず自分自身が自分を大切にする必要があるんじゃないかな。

今回はなんだかすごく偉そうなことを述べてしまった。笑
でも、本当にそう思う。
周りの人を幸せにして世の中を幸せで満たすためには、何よりもまず自分自身が幸せである必要があると思うよ。

だから私は、自分が幸せであるためにこんなよくわからない文章を書いている。
「人の役に立つお話を」なんて考えてない。
自分の書きたいことを書いて、それでもし誰かが何かを感じてくれたらうれしいな、という程度。

10年越しに読んだ感想

・・・いやタイトルなんやねん。笑
人生論とか語ってたのはずかしいわ。
当時からいろんなことに悩んで苦しんで、まぁまぁ病んだりもしていたけど、この頃から謎の達観っぷりというか、悟りたい感がすごい。

当時は教育業界にいて毎日生徒のことばかり考えていたから、こういう「人のためとは」みたいなことを考えたんだろうな。
生徒のことばっか考えてるけど、自分自身のことはどうなのよ?!みたいな。
自分のことより生徒のことを優先させている自分を納得させたかったのかもしれない、と今となっては思います。

20代はずっと苦しかったわけで、30になっても苦しいのは変わらなかったけれど、苦しさの質が変わった感はある・・・ような気がする・・・
多分20代は知らないことが多い故の苦しさと、知らないからこその万能感が両立していたと思う。
20代後半〜30代前半にかけていろんなことを経験して、どんどんしんどくなっていくわけだけど、それを乗り越えた今はわりと楽かもしれない。

人って変わるよね。

25で達観したフリをしていていましたが、その後28とか29とかの頃に「水流理論」的な名前の理論を考えていました・・・なんだその名前。
これは簡単にいうと「世の中ってのは水の流れみたいなもんで、人はその中で流されて削られて丸くなって、然るべきところに流れ着くもの」みたいな。
要は自分からゴリゴリやるんじゃなくて、流れに身を任せていけばいいのさ。ていうことを思っていた気がします。

どうしてそういうことを思っていたのかといえば、当時は何もかもがうまくいかなくて、「自分でがんばる」を諦めようとしていたからですね。
東京に出て、器用に狡猾にこなす人たちを見て、そしてその人たちに利用される自分を見て。
東京で生きていくためには流れを読んで「うまいことやる」ができなきゃいけないと思っていました。いかに無駄なコストをかけず、楽に?やるにはどうすれば良いかと悩んだ結論が「流れに身を任せる」だったわけですね。

じゃぁ、今はどうなの?

今の生き方論を無理やり語るとすれば、きっと「わがままになれ」です。笑

人のために生きてみたり、流れに身を任せてみたりした結果、私は私のことを好きだと言えなくなりました。
25の時に書いている「自分が自分を満たしてあげる」ができていなかったんだと思います。
人のためとか周りのために動く時、どうしても自分を粗末に扱ってしまうから、結果として自分を自分で傷つけていたような気がします。

自分を傷つける人を好きになれる人はいないですよね。
なので、私は「自分を傷つける自分」が嫌いだったわけで、嫌いだから大事にできないという悪循環にハマっていたわけです。

自分を好きになるためにはどうすれば良いか。
結局のところ、わがままになるしかないと思っています。
周りから見るとわがままでも、当人にとっては「自分の身を守るための行為」だったりするわけで。そう思えるようになってからは周りの人のわがままも「この人は今自分を守っているんだな」と、受け入れるわけじゃないけど何となく勝手に納得できるようになりました。

そして、だからこそ「わがままを言っても許される・受け入れてもらえることへの感謝」だったり、周囲に対してポジティブな感情を持つこともできるようになったわけですね。
結局人はひとりでは生きていけないわけで、支えあって生きていることは認めざるを得ないので。だったら憎しみの感情よりも感謝の気持ちを持っていえる方が、自分としても楽しく生きられるんじゃないかなぁと。
だからわりと頑張って「迷惑をかけて許してもらって感謝する」をしている気がする。

おわりに:生き方論って「こう生きたい論」だよね

25の私は人のために動くことの意味みたいなものを探していたんだと思うし、28の私は器用に立ち回れないことに悩んでいました。

正直、35の今でも働くことの意味なんていまだにわかってないし器用に立ち回ることも全然できないんだけど、そこに悩むことは無くなったなと思います。
答えを出すことよりも、それについて悩んでもがいたことがよかったのかなと。

多分これからも色々悩むだろうし、40になったらまた違う生き方論が出てくるんだろうけど、変化することが楽しいと思う今日この頃です。
もし当時の自分に何か声をかけるとすれば、なんだろう。
「なんとかなるから、気楽に行こうぜ」って言うかも。
もっと肩の力抜いていい気がする。あと、どうせ完璧になんかなれないんだから、そもそも目指すのをやめろと言いたい。笑

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