缶詰めをめぐる価値観
夕食時のグループホーム。
介護職員・Hさんの言う「缶詰めだから」が気になった。
今日の夕食は中華丼。みなさん、よく進んだ。
器の形状が丼ぶりだから食べやすいのか、とろっとした液体が具材や白米と混じり合うことで掻き込みやすくなるのか、そもそも美味いからなのかはわからない。でもとりあえず、丼ぶりものが出た食事時には高齢者の方々の食事がよく進む。
だからメニューに丼ぶりものが出ることは、私たち介護職員的にも(仕事量がやや減るので)都合の良いことである。
おぼんの左上、置いてある小鉢にはオレンジ色の集合体が入っていた。
いわば缶詰めからよそっただけのミカンである。甘ったるいがそこそこすきっとはするはず。
だがあくまでもメイン・中華丼のおまけ、デザートとしての役割を期待されてはいるものの、ただの彩り、ただのお口直しに過ぎない。
塩味攻めされた口にはちょうどいいのかもしれないが、しょせん缶詰めである。
しょせん。
缶詰め。
たしかにぼくには固定観念があったかもしれない。
缶詰め=申し訳ない。
それがみんなに共通する公式だと思っていた。
だからたとえ高齢者の方々が味を気にしていなかろうと、
食べたばかりの夕食のことさえすぐに忘れようと、
缶詰めそのままの提供にはやはり、いくらかの罪悪感を覚えていた。
ところが、広いリビングの向こう側。
同じ介護職員であるHさんは、夕食を食べ終えたばかりの、そこそこしっかりとした高齢者Aさんとの会話に「缶詰め」の肯定を含ませていた。
「缶詰めだから、甘くて美味しかったですよね~」
激震。
Hさんの性格をよく知っているだけに、彼の本心であることがわかる。
けっして高齢者の満足感をあおるために放った言葉ではない。
ふだんから彼が感じている、暮らしの中での実感である。
一応これまで、どんな高齢者にも「缶詰め」という具体的な事実の言及を避けてきたぼくにとっては、そこそこの衝撃があった。
でもそもそもぼくの根底にはどんな想いがあったのだろうか。
「グループホーム」という閉ざされた空間がまるで「缶詰め」のようだから、この表現を避けていたのだろうか……。考えるほど深みにはまる。
たしかにぼくも、
一時期高騰したサバの味噌煮缶を開けて、喜んでいるではないか。