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慣性なんてぶっとばせ①

note を書くのはずいぶん久しぶりになりますね。会社に全力投球していたのですが、「組織外の活動とバランスをとるのはどうだろう」というアドバイスを受け、なるほどそれもそうかと思い再びペンを執った次第です。

なんだかんだ、従来の僕は社外活動の多い人でした。なので結局、回帰してきたということです。「らしからぬ」行動よりも「らしい」行動の方を勧められてしまうあたり、人はその「本来」からは離れがたいのであると思わされます。

組織文化という幻想

さて、人は「組織」で働いています。「会社」で働いています。「社風」とか「我が社の強み」なんてものがささやかれる中で、「われわれらしさ」に拘りながら物事を勧めていきます。

ついつい、「組織文化」という言葉でくくってしまいがちですが、会社という概念そのものが共同主観的現実(=幻想)にすぎないのですよね。このへんは『サピエンス全史』で説明されているので、知っている人も多いと思います。

たとえばこの共同主観的現実は、日本の品川にいながらにして「俺はビル・ゲイツの作った会社にいる」という錯覚をもたらしてくれます。これはすごいことです。ビル・ゲイツが目の前にいなくても、社員たちは一様にそう思っているわけですし、それゆえに社員同士の間に繋がりを感じさせるのです。

けれども、こういった共同主観的幻想は、集団としての人間——社会にとって必要なものである一方、個人的な満足を上げることにはあまり寄与しません。なにせ、これはある種の幻想であり、各人の頭の中にふわっと存在する物語でしかないのですから。

これが「組織」の真の姿であるとすれば、「組織文化」なんてものはもっと曖昧模糊としています。組織が幻想なのだから、幻想に幻想をとってつけたようなもの。うげっ、となりますが、それが組織文化です。

組織文化よりも「わたし」に直結するもの

さて、そういったわけで、今回から数回に亘って『慣性なんてぶっとばせ』というタイトルでダシにしていきたいのは、こちらの本になります。

こちらの本でエビデンスを持って示されたのは、働く人にとって本当に大切なのは、「組織」とか「会社」とかいうつかみどころのないものではなく、自分が属する小さなチームがどうなっているのかということでした。

端的に言えば、グローバル企業のグローバルな組織文化やスローガンやMVVよりも、品川オフィスのローカル部署内のさらに身近なチームの人間関係のほうがよほどQOLに影響するということです。

会社や組織よりは、従業員個人が直接接する範囲のチームを快適にするほうが、よほど意味のあることです。「直観的にはそうじゃないかと思ってたんだよ」という人は多いのではないかと思います。

よく言われることですが、

人は会社を辞めるのではなく、合わない上司と働くのをやめる

のです。同様に、人が「この会社を辞めよう」と思うときは、「このチームを辞めよう」と思っていると言い換えたほうが真実味があります。

また、組織は「組織文化」の鋳型に人をはめ込もうとします。一方、優れたチームは人に「仲間としての居場所を与え」かつ「個性の発揮を認め」ます。チームは、相矛盾しそうなこれらふたつを同時に叶えるのです。

これだけとってみても、会社の人のオペレーションをうまくいかせようとするならば、「組織」を考えるよりも「チーム」を考えたほうがいいとわかります。

なのに、会社サイドが「チーム」に重きを置いているという話はほとんど聞きません。会社はあくまでも「組織図」で人材を掌握しようとします。それが合わずに人が抜け落ちていくことがあったとても。

あいかわらず、世の中の人事界隈では「組織文化」をどうにかしようという話が主流派になっています。また、転職者も、転職先の企業の「組織文化」を知ろうとします。どちらのケースも薄々気づいているはずです。「組織文化」なんか、自分の仕事の満足にほとんど関係がないということを。

真に機動的でかつ人間的な集団をつくろうと思えば、組織文化を考えるのはやめて、チームのあり方を突き詰めていったほうがよさそうです。

現状、世の中に、社内の「チーム」をうまく把握して円滑に回していく手法やツールは希有なように見えます。人間のオペレーションの新しい常識は、この部分から生まれてくるのではないかと思うのです。

(慣性なんてぶっとばせ②に続く)

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