見出し画像

英雄豪傑になるには

ちまたでは、英雄を召喚して戦わせるゲームや、それがメディアミックスでテレビアニメ化したものが流行っていたりするのですが、僕も好きです。奥さんは僕よりももっとハマっていますが。

世の中に名を成したいという気持ちは、誰しもとは言わないまでも、それなりに多くの人が持っていると思います。けれども、その試みはだいたいうまく行かないので、歴史上英雄と称えられるに至ったのはほんの一握りにすぎないわけです。

たとえば、いま僕はビジネスの世界にいるけれども、そこで名を挙げてどのくらいになれば英雄にカウントしてもらえるのか。日本で有名なあの社長か、この社長かと考えてみても、いや、どうしたって、渋沢栄一や五代友厚には敵わないわけです。

なかなか、英雄豪傑への道は遠い。

英雄を育てる

日本という国には教育というものがあります。一説には、あの制度は大学教授がつくっているから、末は博士になるためのものだとか、それにしちゃあ文科省は学士だらけだとか、いや労働者を労働者たらしめるためのものであり社会の下支えが目的だとか、色々説はあるようですけれども、ここでは日本の教育の是非は述べるつもりはさらさらないわけですが。

幕末から明治初期の偉人に勝海舟という人がいます。幕末は江戸幕府の幕臣であったのに、最終的には明治政府の時代に海軍卿・伯爵になっているような人物です。『氷川清話』はその勝海舟による回想録で、幕末の有名人について色々褒めたり文句を付けたりしている面白い本です。

そんな中で、勝海舟はこう言っています。

世間では、よく人材養成などと言っているが、神武天皇以来、果たして誰が英雄を拵え上げたか。誰が豪傑をつくり出したか。人材というものが、そう勝手に製造せられるものなら造作はないが、世の中のことはそうはいかない。人物になるとならないのとは、畢竟自己の修養いかんにあるのだ。(『氷川清話』)

この感覚は僕も持っていて、たまたま英雄豪傑が近所にいれば、そんな人に育てられれば英雄豪傑になれるかもしれませんが、だいたいそんなわけもないのです。つまり、世に見られる英雄豪傑は自分で自分を育てたわけです。

いや、英雄豪傑だって、次の英雄豪傑を育てられるのかというと甚だ疑問なわけですが。

もちろん、これと思う人に弟子入りしたりするのは偉人になる近道かもしれませんが、それを選ぶのも、偉人に認めてもらうのも、全部自分でやることなわけです。

じゃあ、どういうふうになれば英雄豪傑になれるのでしょうか。立派な肩書があればいい? 有名人になればいい? お金をたくさん稼げばいい?

英雄の要件

『氷川清話』で繰り返し出てくる表現があります。それは「余裕」です。この余裕こそが、どうやら英雄をつくりあげているようです。

いまの事はいま知れて、いまの人に褒められなくては承知しないというケツの穴の小さい奴ばかりだろう。大勲位とか、何爵とかいう肩書きをもらって、俗物からわいわい騒ぎ立てられるのを以て、自分には日本一の英雄豪傑だと思っているではないか。(『氷川清話』)

別の段では、若者の失敗はだいたい色欲のせいだから、色欲を焼き払うのに功名心をうまく使ってみるといいよと言う勝海舟ですが、功名心ばかりであれば、また肩書を求めるあまりに小さい人間になるようです。

そんな勝海舟に、焦らぬように、余裕を持って事に当たるようにと教えてくれた人がいました。それは薩摩藩主・島津斉彬公です。

あるときにおれは公(順聖公・島津斉彬)と藩邸の庭を散歩していたら、公は二つのことを教えてくださったよ。それは、人を用いるには、急ぐものではないということと、一つの事業は十年たたねば取り留めのつかぬものだということと、この二つだっけ。(『氷川清話』)

そして、その余裕を蓄えた人物として、西郷隆盛を絶賛します。こんな余裕のある男は他にいない。かたやどうだ、図体は大きいくせに小さいことにかかずらっている連中の多いことよと嘆きます。

自分を振りかえって、申し訳ない気持ちになります。「ここで失敗しようがたいしたことはない、せいぜい小一時間説教を食らうだけ」といった局面で躊躇してしまった経験も多いです。これではまだまだ修行が足りない。

余裕と併せて述べられるのが、大胆さです。物事に呑まれず、逆に物事を呑み込むには、エイヤッと飛び込む大胆さもセットで必要になるということだそうです。

切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏み込み行けば後は極楽
(『氷川清話』)

これはなんとなくわかります。フルコンタクト空手をやっていたとき、臆病心に負けて、いつまでも下手な間合いにいると、相手にボコボコに殴られます。思い切って、自分の間合いまで飛び込むのです。そうすれば、勝ちを拾いやすい。

けれども、社会人として、ワッと飛び込むのはなかなか至難の業で、躊躇する気持ちはよく解ります。さりとて、飛び込みの一撃が社会人としても有効なのも、身をもって知っています。

僕は人事部に、無謀だなんだと言われながらも、会社を辞めてから、海外MBA留学の準備を始めたのです。けれども、それがうまく行ったのは、逆に会社を辞めてしまって留学のためにすべての時間を使ったからだと思っています。端から見て無謀は無謀だったでしょう。会社を辞めた時点で、英語なんて三語も喋れなかったものなので……。

逆境の中にあって

英雄だって逆境を経験します。というか、逆境の中での過ごし方が、その人を英雄にするかどうかを決めるんじゃないでしょうか。

上った相場も、いつか下がるときがあるし、下がった相場も、いつかは上がるときがあるものさ。その上がり下がりの時間も、長くて十年はかからないよ。それだから、自分の相場が下落したと見たら、じっと屈んで居れば、しばらくするとまた上ってくるものだ。(中略)その上がり下がり十年間の辛抱ができる人は、すなわち大豪傑だ。おれなども、現にその一人だよ。(『氷川清話』)

勝海舟の考え方は、金融商品市場によく似ています。世間の評価なんて水物だから、上がるときは上がるし、下がるときは下がると読者を諭しています。その辛抱ができれば立派なものだと。そして、上がり調子になったら、一気に攻めろと述べています。

この静と動をうまく使い分けられる人が、偉人や英雄豪傑になるわけです。なかなか、精神修養が求められるお話です。

そしてこの相場のお話、『氷川清話』には別の段でも再登場します。それは勝海舟本人が語っているところではなく、なんと勝海舟が行った飲食店の女将の台詞です。

「私どもの暮らし向きは、とてもお解りになりますまい。殿様にはちょっと景気が良いように見えましょうが、実のところを申せば、只今金といって一文もありません。(中略)この苦痛を顔色にも出さず、じっと辛抱しておりますと、世の中は不思議なもので、いつか景気を恢復するものでございます」(『氷川清話』)

この女将さんは逆境の中にあっても、じっと耐えて回復を待っているのです。市井の女将にこのような大人物・思想家がいたとはという感じです。

幕末や明治の偉人が列挙されて、しかも褒めたり貶したりしている本書ですが、この名もなき女将は勝海舟に絶賛されています。

また、ちょっと長いのですが、以下にどうしても引用したい文章があります。白隠です。勝海舟は白隠の肝の大きさに感嘆しています。

白隠という一人の禅僧があった。これは近代の聖僧である。この和尚の寺の門前に一件の豆腐屋があった。その家の娘が、ふと妊娠した。両親はいたく驚き詰責すると、娘が実はお寺の上人さんと云々して妊んだと自白した。そこで両親も大いに喜び、ご上人様のお胤であるならとて産み落とさせ、大切に育て上げた。二、三年経つとかの娘が、実に済まないと考えついて実を吐いた。そこでその子供が白隠の胤でないということがわかった。ゆえに両親も大いに驚き、直ちに寺に至り白隠に向かい、前後の始末を話し、大いに謝る。すると白隠はハアソーカと一言言ったばかりであった。「ハアソーカ」なかなか大きなものだ。天下の事、すべて春風の面を払って去るごとき心胸、この度胸あって初めて天下の大局に当ることができる。(『氷川清話』)

誠心誠意でいまを生きる

余裕をもって事に当たれ、大胆さをもって打って掛かれと述べる勝海舟ですが、そこまではHOWの話です。WHATの部分については、次のように述べています。

男児世に処する、ただ誠意正心を以て現在に応ずるだけのことさ。あてにもならない後世の歴史が、狂と言おうが、賊と言おうが、そんなことは構うものか。要するに、処世の秘訣は誠の一字だ。(『氷川清話』)

幕臣から明治政府に転進した人が言うとやはり響きます。正しいと思うことをおやりなさいというわけです。幕府に仕えようが、明治政府に仕えようが、世の中のためになることをやりなさいと。たとえその過程で、悪者扱いされても構うなというわけです。

某有名ゲームに登場する英雄たちも、古代の英雄は完全無欠の大英雄感が強い人物が多いですが、時代が下るにつれ、清濁併せもつ人物が増えてきます。

英雄も人間なので、完全無欠というのはなかなか難しいです。幕末〜明治の偉人たちでも、いつも間違いない判断ができていたかは、評価が難しいわけです。だから、後世の歴史に狂なり賊なり書かれるおそれはあったはずです。

けれども、肝心なのは自分のやったことが世の中のためになる。それは間違いないと信じて、また、そう信じられるものを選び抜いて、真剣に、大胆に、事に当たるのが大事というわけです。

でも、逆境もあるから、焦らずにねと、あの勝海舟も言ってくれていると思うと、なぐさめられる思いもするのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?